ムーミン経由、ドイツ行き
大聖堂に架かる橋
ニール 
・鐘の鳴る町

・川の流れる町
天国への509階段
・その1 ・その2
ひとつきだけの世界遺産
街で人気のコンディトライを探して
中華飯店で日韓友好?
ショッピングモール・アドベンチャー
・その1
・その2 ・その3
ケルンぶらぶら歩き
・その1 ・その2 ・その3
たった一時間のラインクルーズ




ライン川にかかるホーエンツォリルン橋から、対岸のケルン大聖堂を望む。


 
どすん!
 私のドイツ初上陸は、着地に失敗した飛行機の衝撃音から始まった。
 もちろん失敗といっても微々たるもので、乗客全員が「あっ、やっちまったな」と分かる程度の衝撃をお尻に感じただけのことだ。前に座っていたおじさんが、その瞬間「オゥ!」と口を丸くしたのが、欧米人ならではのリアクションで面 白かった。
 何はともあれ、ようやく着いた。幼い頃からの憧れがつまった国、ドイツ。飛行機が低空飛行に入って、雲のすき間から地上の様子がはっきり見え始めてからというもの、私はずっと興奮状態で、窓に顔を押しつけて心の中で歓声を上げていた。
(ドイツだ!ついにドイツに来たんだ)
 中世の面影を色濃く残した、赤いとんがり屋根が続く風景が 眼下に広がる。紛れもなく、私がずっと夢見てきたドイツの風景だ。さらに降下していくと、きれいに整備された近代的なスタジアムが目に入った。地元のサッカークラブ「フォルトゥーナ・デュッセルドルフ/Fortuna Duesseldorf」のホームスタジアムだろうか?さすがドイツ、ブンデスリーガにも入らない地域リーグのクラブにも、こんな立派なスタジアムがあるなんて…と、私はますます気持ちが舞い上がった。
 スタジアムを越えたら、すぐにデュッセルドルフ空港の滑走路が見えてきた。今までロシアや沖縄、北海道などに飛行機で降り立った経験があるけれど、このときほど胸ときめいた着地はない。もう頭の中はさっきから「ドイツ、ドイツ」の大合唱である。だがそんな私の浮足だった気持ちに冷水を浴びせるかのように、いよいよ着地だ、という瞬間に「どすん!」という衝撃がお尻を揺さぶったのだった。だがその衝撃ですら歓迎の合図に思えるほど、私の心は喜びに昂ぶっていた。

デュッセルドルフに向かう機内で出た軽食。同じフィンランド航空の機内食でも、日本路線では冷やしうどんが出たのに対し、ドイツ路線ではぐっと欧米風に。特にジャガイモの角切りサラダが添えられているのが、いかにもドイツらしい。


 ケルン在住の音楽家で、ドイツ滞在中の宿を提供してくれるH氏が、デュッセルドルフ空港まで迎えに来てくれた。H氏とともに、デュッセルドルフ空港ターミナル駅からSバーンに乗り、ドイツ・ケルン駅へ向かう。
  列車の中は空いていた。誰かが読んで、そのまま置いていったのだろうか。空き座席にサッカー雑誌「Kicker」が置きっぱなしになっているのを目ざとく見つけ、頂戴する。なんて幸先がいいんだろう!
 Kickerは最近発行されたばかりの号で、5月30日に行われたドイツ対日本の親善試合の記事や、選手ごとの採点が載っていた。ドイツ語は分からないけれど、バラックが「まいったな、こりゃ」とでも言いたげに頭をかく表紙写 真から見て、「日本と引き分けてどうすんじゃい、しっかりせいドイツ」と警笛を鳴らす記事内容なのは容易に推測できた。本当に、あの試合のドイツは弱かった。そして日本はここ数年見たことがないほど、強かった。あの試合以来、ドイツにおける日本代表の評価が急上昇したそうだけど、さもありなん。
 日本人でありながらドイツ好きの私にとっては、あの試合は複雑だった。いや正直に告白すると、試合途中からはドイツのあまりのザルっぷりに哀しくなり、「どうかこれ以上、ドイツが醜態を晒しませんように」と祈るような気持ちで見ていた。つまりドイツを応援していたのである。非国民ですね。
 言い訳すると、ジーコ監督になる前は、ちゃんと日本人として、清く正しく日本代表を応援していた。だがジーコ監督になってから―――正確には、トルシェ監督の指導方針のみならず、その人格までもがサッカー協会に否定されるようになってから、ちょっと醒めた目で代表を見るようになってしまった。個人的にトルシェ監督が好きだったから、というのもあるが、功績を残した前監督を全否定するようなサッカー協会に反感を感じたのが主な理由なのだと思う。
 ドイツ滞在中も、ボンのすぐ隣のケルンに滞在していたにもかかわらず、一度もボンの日本代表キャンプを見に行かなかった。もっとも、帰国してから「一度くらい行っときゃよかったな」とちょっぴり後悔したけれど。

ケルンへ向かう列車の中で拾ったKicker誌の表紙と、その中身。 W杯直前に行われたドイツ対日本戦の特集が組まれており、日本が高く評価されていることが分かる。……この試合が日本代表のピークだったとは、このときは知る由もなかった。

kicker誌に掲載された日本選手の、対ドイツ戦の採点。5点満点で、数字が低いほど評価が高い。 この試合では、2得点を上げた高原が「1.5」ともっとも評価が高かった。玉 田や大黒は出場時間が短かったため、採点なし。



 ドイツ・ケルン駅はほとんど「見本市専用」といってもいい駅らしく、見本市が開催されない時期は、がらんとして寂れた印象が否めない。人通 りもほとんどない。だが、駅から一歩出た光景は素晴らしかった。ドイツの木々は、どれもみな本当に大きく、伸びやかに枝を張っている。それらの大木を見上げながら、対岸へとかかるホーエンツォリルン橋を歩いて渡った。橋の下には、ライン川。大河だけあって、意外と水が汚く、灰色に濁って見えるのが新鮮な発見だった。
 橋の向こうには、大聖堂がそびえていた。天まで届けとばかりに双塔を空高く突き上げている。遠くからでもはっきり分かるその巨大さ、その存在感。ケルン中央駅を出て、すぐ目の前にそびえ立つ大聖堂を見上げる「出会い」もいいけれど、こんな風に、対岸の橋からその威容を眺めつつ、じょじょに近づいていくのもいい。
 それにしても、ドイツはジョギングしている人が多い。駅を出てからまだわずかな時間しか立っていないのに、ジョギング中の人と何人もすれ違った。日本でも最近、中高年を中心にウォーキングがブームで、私の母も毎晩、タオルを首に巻いて近所を歩いているけれど。ドイツでは中高年だけでなく、老いも若きもジョギングに精を出しているあたりが、日本との大きな違いだろうか。  

 橋のふもとには、巨大な騎馬像がそびえていた。 その巨大さもさることながら、土台となる石にスプレーで派手な落書きがあり、そのまま放置されていることに驚いた。日本だと見つけしだい、すぐ消されてしまうだろうに。ドイツっておおらか(?)だなあ。
 橋を渡って左岸に着くと、いよいよ大聖堂が目前に迫ってきた。やはりこの圧倒的な迫力は、肉眼で対峙してみないと分からない。よく見ると、二つの塔の高さが微妙に異なっていることに気づく。老朽化のせいで、天使像の頭部や羽根が欠けたものが多いことも、近づいてみると分かった。
 それにしても明るい。もう夜の8時だというのに、まだ陽は沈む気配を見せず、夕方5時くらいの空の色だ。H氏いわく、ドイツの夏は「白夜」とまではいかないけれど、陽が沈むのが遅く、夜9時半を過ぎてようやく暗くなってくるという。
 だが見た目は「夕方」でも時間的にはもう夜なので、聖堂の見学時間は終わっており、中には入れなかった。明日、もう一度ここに来ることを楽しみに、私は大聖堂に別 れを告げた。

左 ホーエンツォリルン橋のふもとにそびえる騎馬像。土台に描かれた派手な落書きと、りりしい騎士像のミスマッチがなんともいえない。
この他にも、ドイツではいたる所で落書きをよく見かけた。ドイツが「落書きの多い国」だということは、今回の旅の発見だった。
その落書きも、日本のようなイラストはほとんどなく、文字を装飾したメッセージ性の強いモノがほとんどだった。










下 よく写 真に撮られる正面ではなく、側面から見た大聖堂。見上げていると、塔の先が今にも空に吸い込まれていきそうだった。