ムーミン経由、ドイツ行き
大聖堂に架かる橋
ニール 
・鐘の鳴る町

・川の流れる町
天国への509階段
・その1 ・その2
ひとつきだけの世界遺産
街で人気のコンディトライを探して
中華飯店で日韓友好?
ショッピングモール・アドベンチャー
・その1
・その2 ・その3
ケルンぶらぶら歩き
・その1 ・その2 ・その3
たった一時間のラインクルーズ




らせん階段の壁には、この塔に登った者が残した落書きがぎっしり。日本語で書いた日本人の名前もあった。それも同じ名前ばっかり。自分の名前を何回サインしてんねん。
120年に渡って踏まれ続けてきた石段は、真ん中部分がすり減っていた。

黒と白のコントラストに刻みこまれた「1875」

 大聖堂は入場無料だが、南塔に登る場合だけ、2ユーロの入場料がいる。1ユーロが約150円だから、2ユーロは約300円。ユネスコ世界遺産の入場料にしては、安い。
 受付で入場料を払って、いよいよ509段のらせん階段を登り始める。うわ、思った以上に狭くて、暗い。やはり「中世の塔」はこうでなくては。下手に観光客用に階段をもっと登りやすく、近代的に整備なんかされたら興ざめだ。
 もちろん、その分安全には十分注意しなくてはならない。階段は一つしかないので、登る人と、降りてくる人が途中で頻繁にすれ違う。その際、登っている人はいったん立ち止まって、降りてくる人に安全な「階段の外側」を譲ってあげるのが「マナー」だと、H氏が教えてくれた。なるほど。確かにこの狭さだと、降りる方が怖そうだ。
 薄暗いらせん階段を登っていると、まるで自分が「剣と魔法の世界」の住人になった気分でワクワクする。壁一面 にびっしり書かれた落書きも、私には読めない言語で書かれているせいか、魔法の呪文のように見えてくるから不思議だ。今にも上から小人たちが顔を覗かせそう…などと空想して楽しんでいられたのは、せいぜい最初の100段くらいまでだった。後はもう、ひたすら息を切らせながら登り続けるのみ。ちょっと休憩したくても、後ろがつかえているので休もうにも休めない。それくらい、多くの人が登っている。
 だが200段を越えるあたりになると、前を登っている人がギブアップして、階段の端で休憩している姿に頻繁に出くわすようになった。もう足が限界なのか、手をついて、四つんばいになって登っている人たちもいる。見ると私よりずっと若く、まだ学生のようだ。
(あらあら、だらしないわねー)と余裕の笑みを浮かべつつ、彼らを追い越し、さらに登る。これでも、スポーツジムに通 って鍛えているのだ。これくらいでヘバってたまるかい、と半ば意地になって登り続ける。だが300段あたりでついにダウン。壁にもたれて小休憩する。この二枚の写 真はそのとき撮ったものだ。階段の真ん中が微妙にへこんでいるのは、1880年完成以来、120年に渡って多くの人がこの塔に登ってきたため、石がすり減っているのだという。

 そんな歴史ある石段を今、登っているのだという感慨を新たにして、再び登塔開始。もう足は限界で、鉛のように重い。だが400段を越える頃、ついに鐘楼の鐘が吊るされている場所までたどりつく。足を休めるにも、ちょうどいいタイミングだ。複数の巨大な鐘は、今は電動式で鳴らしているようだ。

 


複雑な鉄の骨組みが張り巡らされた吹き抜けの空間に、巨大な鐘がつり下げられている

 ここまで来たら、頂上はもうすぐそこだ。だがその「すぐそこ」が意外と遠い。再びらせん階段を登り始めてから数分後、ようやく頂上にたどり着いた。といっても正確には塔の頂上ではなく、「らせん階段」の頂上なのだが。
 それでも、眺望は素晴らしかった。ケルンの街が一望できるだけでなく、遠く、デュッセルドルフやレバークーゼンまで見渡せる。ケルンが属するルール地方は「ルール工業地帯」と呼ばれる、ドイツを代表する重工業地帯といわれている。確かに遠くの方では、工場の煙突が数本、煙をたなびかせているのが見える。だがそれ以上に、緑が多い。郊外はほとんど深い森に覆われているほか、デパートやマンションが立ち並ぶ中心街にもあちこちに緑豊かな公園が見える。さすが環境先進国ドイツ、世界屈指の工業地帯とは思えないほど、自然保護の意識が行き届いているなと感じた。
 建物が密集している地域も、建物の形がそれぞれにユニークなので、見ていて飽きない。中世の面 影を色濃く残すメルヘンチックな木組みの家があるかと思えば、壁面が全てガラス張りの、建築デザインの先端をいくような斬新な高層ビルもある。教会の数が多いのも、起伏に飛んだカラフルな景観をつくるのに大いに貢献している。歴史と宗教と最先端が同居している、そんな現代ドイツの魅力が凝縮された眺めだった。
「ここには何度も登ったけれど、こんなに見晴しがいいのは初めてだ」と、隣でH氏がつぶやく。初めての登塔で、こんな素晴らしい晴天と眺望に恵まれた私は幸運だったということか。
  興味深かったのは、地上の景観だけではなかった。今、自分が登っている塔の、その修復工事の様子を間近に見ることができたのだ。
「ほら、あそこ。石の色が、明らかに他と違うでしょ」と、H氏がすぐ近くの塔を指差した。見てみると、塔全体は年月を経て黒ずんでいるのに、一部に、妙に白い石が混じっている。
「あれが、新たに修復した部分だよ」とH氏に言われ、納得した。他にも、白い石と黒い石が複雑に混じりあっている箇所が塔のあちこちに見受けられた。この大聖堂が、絶えず修復工事を受けていることの証明だろう。
 大聖堂は完成したときこそ1880年だが、建築が始まったのは1248年で、資金難から1560年以降は工事が完全にストップ。再び工事が再開されたのが1842年というから、約300年に渡って、未完成のまま放置されていたことになる。きっとその頃のケルン市民は、今のバルセロナの聖家族教会を見るような感覚で、「もうこのまま、永遠に完成しないんだろうな」と思いながら、クレーンが据え付けられたままの大聖堂を見上げていたに違いない。
  そんな歴史を持つ大聖堂だから、1560以前に建てられた部分も多い。なのでこうして、えんえんと修復工事が行われているのだろう。
 H氏の記憶では、北塔はここ数年、ずっと工事用の足場が組まれているという。だがその足場の色も、大聖堂の石の色と合わせてなるべく違和感をなくしているのは、さすがドイツというところか。
 「ほら」とH氏が再び指差したその先には、「1875」という文字が石に刻まれていた。1875年にその部分を築いた大工さんのサインらしい。面 白いのは、修復前の黒い石に刻まれたサインの一部が、修復後の白い石にも刻まれていることだ。1875年以降の修復工事の際にも、先人の功績を偲んで、そのサインを再び新しい石に刻んであげたのだろうか。だとしたら、 古いものを大切にするドイツならではの優しさではないだろうか。
  私はそのサインを見たとき、この塔に登って本当に良かったと思った。地上から見上げているだけでは分からない、聖堂完成にいたるまでの様々な努力の跡と、今もその努力は続けられていることを、間近に見ることができたのだから。

右 黒と白のコントラストがはっきり分かる塔。黒い部分が修復前の古い石で、白い部分は修復後の新しい石。真ん中あたりに、「1875」という文字が彫られているのが見える。

 

下 「1875」の部分を拡大。黒い石だけでなく、修復後の白い石にも刻まれているのが分かる。

足場を組んで修復工事中の北塔。おそらく世界一高い工事現場ではなかろうか。しかもこの工事は何年も続いているという。
展望台からの展望。ライン川とホーエンツォレルン橋が眼下に広がる。  

 天上からの眺めを満喫した後は、再びらせん階段を降りて地上へと戻る。この聖堂のメイン観光ともいえる聖堂内部の見学だが、玄関から一歩中へ入ったとたん、圧倒的な天井の高さに圧倒される。他にも、窓ごとにデザインや色合いが違うステンドグラスや、十字架像、祭壇画など、とても早足では見て回れないほど貴重な芸術品が随所にある。だがカトリック信者ではないせいか、立ち入り禁止になっている中央祭壇に「東方三博士の遺骨」が収められているといわれても、「へー」という感じであまり有り難みを感じられない。
 もっとも心に残ったのは、この聖堂建築に多大な貢献をしたであろう貴族が眠る棺だった。といっても棺そのものではなく、棺の上に施された彫刻に。目を閉じて横たわる貴族の足下で、一匹の犬が切ない目をして、今はもう動かなくなったご主人様を見つめている。実際に、この貴族が飼っていた犬だろうか。わざわざ飼い犬の姿まで彫刻として残すところに、ドイツ人がいかに犬を大切に思っているかが感じられた。それも、中世の時代から。


大聖堂内のステンドグラス。ほんとはもっと鮮やかなのだが、カメラの腕が悪いため、こんなくすんだ色に映ってしまった。