ムーミン経由、ドイツ行き
大聖堂に架かる橋
ニール 
・鐘の鳴る町

・川の流れる町
天国への509階段
・その1 ・その2
ひとつきだけの世界遺産
街で人気のコンディトライを探して
中華飯店で日韓友好?
ショッピングモール・アドベンチャー
・その1
・その2 ・その3
ケルンぶらぶら歩き
・その1 ・その2 ・その3
たった一時間のラインクルーズ





 ケルンに行ったら、大聖堂に登ろう。ずっとそう思っていた。
 なのに「ドイツでしてみたい13のこと」に含めなかったのは、わざわざ目標にするまでもなかったからだ。ケルンに行って、大聖堂に登るのは当たり前。せっかく南塔が一般 に開放されて、頂上まで登れるようになっているのだから。「大聖堂に登らずして、ケルンを語るなかれ」とまでは言わないが、安くない費用をかけてはるばるケルンに行ったからには、やはり登らずに帰ってくる手はないだろう。


陽を浴びて、黄金色に輝く大聖堂。世界遺産の貫録十分である。
左の塔は修復工事中で、工事用の足場が組まれているのが見える。

世界遺産とイソギンチャク

 ドイツに到着した翌日の6月6日。私はケルン在住のH氏とともに、さっそくケルン中心部へと向かった。
 空は快晴で、まだ午前中というのに日差しが強く、暑いほどだ。大聖堂前は、既に大勢の人で賑わっていた。そのうち半数以上が観光客だと思われた。「カメラを持っている」というのもあるが、それ以上に、目が輝いていたからだ。初めて見る大聖堂の威容に圧倒されつつも、感動を隠しきれない表情で世界最大のゴシック建築を見上げている。
 そういう私も観光客なので、彼らと同様、カメラ片手に飽きることなく大聖堂を見上げていた。強い日差しを浴びて黄金色に輝く大聖堂は、昨夜、暮れかかった陽の下で見たのとは比べ物にならないほど神々しく見えた。きっと刻々と変わる空の色に合わせて、その時々で違った表情を見せてくれるのだろう。
 写真を撮ろうとカメラをかまえたが、あまりの巨大さにファインダーに収まらず、そのままずるずる後ずさりする。そうしているうちにも、聖堂前の広場にはぞくぞくと観光客がやってくる。WM開幕直前だからだろうか、ドイツ代表ユニフォームを着たサポーターらしき人も多い。それを見て、「そうか、大聖堂を見ようとやってくるのは、外国人だけじゃないんだ」と今さらながら気づかされた。ドイツ人だって、自国の世界遺産をひとめ見ようと、故郷からはるばるここにやってくるのだ。
 まさに観光客のるつぼである。そして観光客が集まる場所には、当然、大道芸人たちも集まってくる。だが聖堂前に集まる大道芸人は、日本では見たことのないタイプだった。風船をふくらませたり、楽器をかき鳴らしたりする人はいない。じゃあ何をするのかというと、ただじっと立っているのだ。ぴくりとも動かずに。
 もちろん、ただ動かないだけでは「芸」にならない。彼らはみな、全身に銀粉を塗りつけたり、ローマ法王のコスプレで天を指さしていたりと、奇抜な格好で人々の注目を集めていた。足下には、お金を入れる小さな壷や瓶が置かれている。通 りがかった人がその中にチャリンとお金を放り込むと、それまで彫刻のように固まっていた「静止芸人」はようやく動き出す。お金を入れてくれた人の手にキスをし、記念撮影に応じてポーズを取る。そしてまた、元のポーズに戻って静止する。この繰り返しで、観光客からお金をせしめて(失礼)いるのだ。

大聖堂前の「静止芸人」図鑑その1。ピエロ?それとも中世の吟遊詩人?
奥に見えるのはケルン中央駅。
「静止芸人」図鑑その2。おそらくローマ法王に扮していると思われる。(昨年、ケルン大聖堂にローマ法王が来たらしい)
だが 場所が 悪かったのか、そとれも扮装が他に比べて地味だったのか、あまり儲かっていないようだった。


 私はその様子を眺めているうちに、彼らがウツボやイソギンチャクに見えてきた。じっと動かず「獲物」を待ち続け、その奇抜な姿に惹かれた獲物が近づいてきた途端、素早く動いて捕食する、あの「待ち伏せ系」の海の生きものに。奇抜な格好をして立っているだけで、特別 な芸を披露せずともお金が稼げて楽そうに見えるが、きっと裏では芸人どうしの場所取り争いなど、何かと苦労があるのだろう。こうして見ている限り、格好の奇抜さやアイデアよりも、「いかにいい場所に陣取るか」が勝敗を分けるといった感じだし。ベストスポットは、やはり大聖堂の正面 入口前だ。人通りも多く、記念撮影には持って来いの場所といえる。
 そんなことを思いながら見ていると、介護用の「動くベッド」に寝かせられたおばあちゃんが、付添の人たちに運ばれて「静止芸人」のもとにやってきた。付添の一人が、足下の壺に小銭を入れる。とたんに、それまで固まっていた静止芸人が動き出す…のはこれまでと同じだが、そこから先は違った。静止芸人は台を降りると、寝たきりのおばあちゃんの顔のすぐ横に自分の顔を近づけ、記念撮影に収まったのだ。
 相手によってサービスの仕方を変えるのは、当たり前かもしれない。だが私は、寝たきりのおばあちゃんのため、わざわざ台を降りてポーズを取った芸人の心遣いにほろりとなった。と同時に、じっと獲物を待ち伏せるところがイソギンチャクみたい、などと思いながら見ていた自分を戒めた。
 この日以外にも、「動くベッド」に乗った寝たきりの老人や、病人の姿を大聖堂前で時おり、見かけた。こうした、健常人以外の観光客も少なくないのが、世界的に有名な大聖堂ならではだろう。きっと介護している家族が、もう自力では歩けなくなった家族に、ひとめでいいから大聖堂を見せてやりたいと思い、ここまで運んできたのだろう。彼らの思いと、ここに連れてくるまでの苦労が容易に想像できるだけに、そういう人たちを見るたび、私は涙腺がゆるむのを抑えきれなかった。
 大聖堂の見どころは、157mという巨大な外観や、貴重な文化遺産が眠る内部だけではなかった。大聖堂前の広場でも、様々な人生のドラマを見ることができた。旅慣れた人は、とかく「観光地」を敬遠しがちで、旅慣れていない私にもそのような傾向がある。だが世界中から様々な人が集まる観光地だからこそ、忘れられない光景に出会えることもあるのだと、私はこの地で教えられた。 >>続く

足下の壺にお金を入れると、このように手の平にキスしたり、記念撮影に応じてポーズをとってくれたりする
お金を入れるのは主に女性が多かったが、一度だけ、中国人らしき小太りのおじさんがお金を入れて、仲間といっしょに写 真を撮ってもらっていた。 …なんというか、中国人のバイタリティーを感じた出来事だった。日本人でも、大阪のおばちゃんたちなら同じことができるかも。