真夜中の門
酔いの回った赤い顔でカフェを出たのが、夜の10時半。通りにはまだあちこちにサポーターが残っていたが、さっきよりは「クラクション・カー」の数は減っており、街は平穏を取り戻していた。きっとひとしきり走り終わって、今はバーやビアホールで祝宴を開いている時間帯なのだろう。私も時間に余裕があればそういう店を除いてみたかったが、今夜にはベルリンを発たなければならない。まっすぐZOO駅に向かい、Sバーンの電車に乗って中央駅に向かう。
中央駅に着いたのは11時過ぎだったが、構内にはまだ大勢の人が残っており、慌ただしく動いていた。ケルン行きの電車が出るまでまだ一時間近くあるので、暇つぶしに、もう一度ブランデンブルグ門まで歩いてみることにした。
ライトアップされた首相府や連邦議会議事堂は、昼に見るのとはまた違った趣があった。特に連邦議会議事堂は、ライトアップの光がまるで建物そのものから発せられるオーラのように感じられ、しばし立ち止まって見惚れてしまった。昼間見たときは単に「威厳のある建物」という感じだったのに、夜に見ると「威厳」を通
り越して「崇高」な感すらある。別に教会でも寺院でもない、政治的な建物なのに。
議事堂に見惚れている間も、大勢の人が私の後ろを通り過ぎて行った。ほとんどが、中央駅へと向かう人々だ。さすがにこの時間は、駅へ帰る人の方が多い。
そんな中、私は人波に逆らって、ブランデンブルグ門へ向かって歩いていく。門に近づくにつれ、みるみる道が汚れていくのが分かった。ゴミが散乱し、こぼれたビールの液体がアスファルトにしみ込んでいる。夕方から夜にかけて、この道路上でどれだけ多くのサポーターが騒いでいたかがよく分かる。思わず、故郷である岸和田の「だんじり祭り」の、祭り後の汚れた道路を思い出した。だがせいぜい年に二日しか行われないだんじり祭りはと違い、WMは約一ヶ月続くのだ。清掃を担当しているボランティアの人は本当に大変だ…と、私は試合前に出会った、日本から来たボランティア青年の顔を思い出していた。
ほどなく着いたブランデンブルグ門は、黄金色にライトアップされていた。直線的な建物だから、光の当たり方も直線的で、いっそう力強く、雄々しく見える。門というより、神殿のようだ。周囲には、夕方ほどではないが大勢の人が残っており、写
真を撮っていた。服装からして、サポーターというより観光客の方が多いようだった。
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深夜12時のブランデンブルグ門。
手前に見える巨大なサッカーボールは「FUSSBALL GLOBUS」。中にはカーンのグローブなどが展示されている。私も中に入ってみたが、残念ながらあまりたいしたことなかった。
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やっぱり最後も「ベルリンに行こう」
中央駅に戻る頃には、再びお腹が空き始めていた。ちゃんとした夕食を食べていないのだから当たり前だ。幸い、駅構内のフードコートはまだ営業していた。新しい駅だけあってフードコートも充実しており、店内はかなり広い。ベーカリーや、ハンバーガーチェーンのバーガーキング(ドイツではカーンが広告キャラクターになっている)、シーフードを食べさせてくれる店など様々で、何を食べようか迷ってしまうほど。うろうろしていると、あちこちのテーブルに、ユニフォーム姿のサポーターを発見した。彼らも、私と同じように開幕戦を見るために地方からベルリンに出て来て、今は帰りの電車を待っているのだろうか。
なんとなく親近感を抱いてサポーターたちに目をやった私は、彼らの目線が一様に斜め上に向けられているのに気づいた。その目線の先には、テレビがあった。フードコート内に中型テレビが設置されており、今日の開幕戦のダイジェストや、各地のサポーターの賑わいなどが映し出されている。
つられてテレビを見ていた私は、見慣れないユニフォームの選手たちが試合しているのを見て「あれ」と思った。その直後、画面
に映った字幕を見て、その試合がついさっき終わったばかりのポーランド対エクアドル戦だと気づく。そうか、たった今まですっかり忘れていたけれど、今日はドイツ対コスタリカだけでなく、その後に同グループのポーランド対エクアドル戦もあったのだ。しかも大方の予想を反して、エクアドルがポーランドに完勝しているじゃないか。これには驚いた。ダイジェストで試合の模様を伝えるリポーターも、驚きを隠せない表情で何やら早口にまくしたてている。
その後、一度席を立ってイタリアンカフェでカプチーノとパニーニを注文し、トレーを持って再びテレビが見える位
置に座った。テレビではサッカー評論家や有名人たちによる、WM討論会が始まっていた。ドイツでは、このような多人数によるトーク番組が多い。あれやこれやと議論するのが、基本的に好きな国民なのだろうか。昨夜、ホテルでヘバっているときに見た番組も、ZDFのトーク番組だった。今、見ているのも昨日と同じZDFスタジオからのトーク番組で、今日の試合を振り返りつつ、あれこれ喋っている。もちろん私には何を言っているのか分からない。だが出演者たちの口調や表情から、「弱点の守備は相変わらずだけど、とりあえずたくさん点取って勝てたし、まずまずのスタートを切れたんじゃない」という楽観的なノリが感じ取れた。
出演者はほとんど男性だったが、一人だけ金髪の若い女性がおり、彼女の座るテーブルにはバラックのフィギュア(Kick-O-maniaの代表バージョン)が置かれていた。といっても、特にそのフィギュアが何かに使われることもなく、単に「飾り」として置かれているのだろうと思っていた。やがて番組が終わりに近づいた頃、女性がややネガティブなことを言ったらしく、他の出演者が「そんなことない、大丈夫だよ」というようなことを言ってから、今日、PV会場でも試合前に歌った「wir
fahren nach Berlin」のサビ部分「フィナーレ、フィナーレ、ベルリンに行こう」を力強く歌い始めた。といきなり、カメラがバラックフィギュアをアップで映しだしたのだ。なんてことない演出だが、私は胸がきゅっとなった。そうだよな、今度こそバラックをフィナーレ(決勝)の舞台に立たせてやりたいよな…と、ZDFのカメラマンも思っているのだろう。その気持ちはようく分かった。
午前0時。ケルン行きのICE特急がホームに到着した。行き先がケルンとなっていることをしっかり確かめてから、車両に乗り込む。もっと混んでいるかと思ったが、意外と空いており、進行方向の窓際に座ることができた。余談だが、ドイツ人は日本人と違い、電車やバスの座席の「進行方向」にはこだわらない。平気で、進行方向とは逆向きに座ったりする。乗っている間、気分が悪くならないのだろうかと思うが、日本人とは体のつくりが違うのだろうか?
列車が動き出した。窓の外は真っ暗なので、流れる車窓の景色を見ながら「さよなら、ベルリン」と別
れを惜しむ余韻があまりない。もっとも、そんな余韻を感じる以前に、席についたとたん睡魔に襲われ、倒したシートにぐったりもたれかかったのだが。次に来るときは、もっとゆっくり観光しよう。たった一日半の滞在では短すぎる。そして次こそ、アイスバインを食べたい。ポツダム広場にも行きたい。壁博物館やバウハウス展示館にも入ってみたい。PVじゃなく、スタジアムでサッカー観戦もしてみたい―――後から後から、「ベルリンでやり残したこと」が頭の中にわいてくる。こりゃあ、次に来たときも決して「ゆっくり」観光なんかできなさそうだ。まあいい、早足でシャカシャカ歩き回るのが私の旅行スタイルなのだから。ただし、たっぷりの水と食料を携帯することだけは忘れずに。
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