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番外コラム

サッカーは続く。
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チャンピオンズリーグ観戦記




サッカーは続く。(ミヒャエル・バラックの代表引退に寄せて)

2010年5月15日。
 リアルタイムで試合を見ていたわけではない。だからバラックが相手選手に削られたシーンも見ていない。それでもネットで「バラック負傷」のニュースを知ったとき、最悪の予感が全身を突き抜けた。
「怪我の状態は精密検査を待たないと分からないが、三週間後に迫っているワールドカップ出場に危険信号がともる」と、その記事は伝えていた。だがそのときすでに私は、ワールドカップ出場は絶望的だと感じていた。なぜって、それがバラックだから。そんな風にファンに思わせてしまうサッカー人生だったんだから悲しいね。ワールドカップ欠場が確定したときも、真っ先に出てきた感想は「バラックらしい」。最後のワールドカップ、今度こそ悲願の国際タイトルを……と燃えていた矢先に、試合中の怪我で全てが崩壊してしまう。――なんかもう、あまりにもバラックらしすぎて。

 ワールドカップ欠場が確定した翌日、バラックのコメントがメディアに発表された。
「もちろん苛立っているし、がっかりもしている。でもフットボールでは一度、起こってしまったことを蒸し返すべきじゃない」
「前を向くようにしているよ。自分にとってのフットボールは、今まで通 り大きな楽しみさ。この怪我が、ユーロ2012に向けての完全なモチベーションになるだろう」
  バラックらしい、前向きなコメントである。代表キャンプを離脱するときも、彼はチームメイトたちに「俺の怪我のことはすぐ忘れて、前を向け。このチームは強い。誰が選ばれよう が、誰がプレーしようがだ。お前らなら絶対に、いいワールドカップにできるし、成功を収められる」との言葉を残している。
 彼はこれまでいつもそうだった。2006年ワールドカップ、延長で立て続けにゴールを決められて負けたイタリア戦。あふれる涙をぬ ぐおうともせずに、唇を噛みしめてまっすぐ前を向いていた、あの横顔こそがバラックの真骨頂だ。夢を断たれた直後でも、決して下を向くことはない。
 そんな彼の姿勢を「精神力が強い」からだととらえることもできるだろう。だが私はそれだけではないと感じる。 いつもまっすぐ胸を張って入場してくる、あの姿勢そのままに、バラックはとても誇り高く負けず嫌いだ。落ち込んでいる様子を人に見せたくはないのだろう。
  それにあまりにも大きくて圧倒的な絶望、すべてが崩れ落ちてしまうほどの絶望を前にしたとき、人はそれでも前を向いて進むしかない。それしか選択肢はないのだ。さもなければ運命を呪い、うちひしがれて惨めに死を待つだけ。だからほとんどの人は前を向いて乗り越えていく。誇り高いバラックは、その「前を向くまでの時間」が、他の人より早いのだろう。

 そして始まったワールドカップ。大会前には、「なんという悲劇だ。バラック抜きで戦わなくてはならないとは」と書き立てたドイツメディアは、約一ヶ月後には「バラックの怪我はドイツにとって神の恵みだった」と書き立てた。バラック抜きの代表チームが、低迷するどころか、溌剌としたサッカーで躍進する。ドイツ中を震撼させた「悲劇」は一転して「神の恵み」に変わり、バラック不要論が主流となって吹き荒れる。バラックにとっては悲劇だが、関係ない人間からすれば、そのあまりにも極端な論調の変わりように、おかしさすら感じる。すでにドイツでは、あの一連の騒動は笑い話になってるんじゃないだろうか。
 だがバラック欠場が結果的には「吉」と出ることは、以前から予想できたことでもあった。バラックという男の巡り合わせの悪さをこれまでさんざん体験してきた私は、バラック欠場が決まった時、ついにドイツが優勝するのではと思ったほどだ。
 それに2010年以前にも、バラック不要論はささやかれていた。有望な若手が次々に台頭し、「バラックは代表に必要だと思いますか?」というアンケートが新聞サイトで行われた。すでにバラックは代表で、以前のような絶対的な存在ではなくなっていた。そのことを本人も当然、感じていただろう。ワールドカップ予選では若手を活かすようなプレーで、黒子となって走り回った。そしてメディアに「やはりバラックは必要」と言わしめた。そんな中での怪我だったから、これを「世代交代の良いチャンス」ととらえる向きもあった。そして、その通 りになった。

2011年6月16日。
 昨年5月15日の怪我以降、滑り続けていたバラックの運命に判決が下った。「もう代表チームの一員ではない」というDFB(ドイツサッカー協会)からの一方的な引退発表。8月のブラジル戦を「引退試合」にして、表向きは円満に代表引退を、というDFBの提案をバラックは「茶番だ」と一蹴した。満員のスタジアム、観客全員のスタンディングオベーションで見送られる華々しい引退ではなく、DFBと代表監督に言いたいことを言って、喧嘩別 れする道をバラックは選んだ。その記事を読んだとき、真っ先に出てきた感想は、これまた「バラックらしい」。相手が誰であろうと、おかしいと感じたらはっきり指摘するのがこの男だ。そのおかげで若い頃から「傲慢」と言われ、チームで浮いた存在になったり、余計な騒動を起こしたりしてきた。バイエルン時代も、練習中に理不尽なことがあると、キャプテンのカーンにも食ってかかった。きっと、根っから真面 目なのだろうと思う。そんな熱血正義漢ぶりは、最後まで変わらなかった。まさに、バラックらしい代表キャリアの締めくくり方だった。
 そして代表キャリアがひとまず終わったとしても、バラックのサッカーはまだ続いている。

2011年7月9日執筆