バラックのいる風景
  〈ケルン中央駅〉
  〈ニール〉
  〈サポーター〉
  〈街角〉
  〈スポーツ店〉
  〈書店〉
  〈おもちゃ屋〉
   

番外コラム

サッカーは続く。
2011.7.9 執筆
バラックの世紀
2012.10.22 執筆
エンドマークはまだ遠く
2012.11.11 執筆
2011-2012
チャンピオンズリーグ観戦記




バラックの世紀

2012年10 月2日、バラックが引退した。ドイツのSPIEGEL紙は引退を伝える記事に「Capitano a.D.(Capitano紀元。Capitanoはバラックの愛称)」という題をつけた。Kicker誌はもっと簡潔に「Eine Ara endet(時代は終わった)」と書いた。確かにそれは、一つの時代の終わりだった。

ではバラックの時代とは、いったいどんな時代だったのだろう。その概略よりもまず、真っ先にイメージとして浮かぶのは、代表ユニフォームを着てキャプテンマークを巻いたバラックの姿だ。引退を伝えるドイツの各メディアも、代表キャプテンとしてのバラックの写 真を載せていることが多かった。その姿が、彼をもっともよく象徴しているからだろう。 Capitanoという愛称も、代表キャプテンとしてのバラックに対してつけられたものだ。
もちろん、バラックは代表でのみ活躍したのではない。彼の名が初めて世界にとどろいたのは、2001-2002シーズンのレヴァークーゼンでの活躍だった。
だが今そのキャリアを振り返ると、不思議とクラブよりも、代表での印象の方が強い。それは活躍の「度合い」が、クラブより代表の方が高かった、というわけではない。ずばり「救世主としての働き」の度合いだと思う。妙な日本語になるが、私はこれを便宜的に「救世主度」と呼びたい。レヴァークーゼンでもバイエルンでも、そしてチェルシーでも活躍したが、こと「救世主度」に関しては代表がもっとも高かったと思う。つまりそれだけ、2000年代初頭のドイツ代表は危機的状況だったのだ。そしてドイツがもっとも苦しい時期に颯爽と現れ、その後10年に渡ってドイツを支えてきたのがバラックだった。ある記者は「ドイツは バラックにしがみついていた」と書き、また別の記者は「リーダーであり、ゲームメーカーであり、キャプテンだった」と書いた。ドイツが得点力不足に悩んで いた2000年代前半は、バラックはさらにストライカーの役割をも担っていた。「バラックの時代」とは、言い換えれば、ベテラン偏重で行き詰まっていたドイツが若手中心に切り替え、その若手が成長していくまでの過渡期。本来ならチームの中心となるはずの、23〜27才くらいの「中堅」が極端に少なく、そのためバラックは自分より一回り近く年下の、20才前後の選手たちを率いなくてはならなかった。それは何かと負担の多い役目だっただろうが、だがだからこそ、バラックは若いチームを引っ張るリーダーとして、その能力をフルに発揮することができたともいえる。
――そう考えると、なぜ今回の引退報道で、昨シーズンのプチ復活が、記者たちから「なかったこと」にされているのかが分かる。それはすでに予測されていたことで、私も当時の観戦記に、 「レヴァークーゼン復帰後の活躍も、なかったことにされるのではないか。負傷でW杯を欠場した後は、坂道を転がり続け、結局這い上がれずに引退した方が悲運のストーリーとしておさまりがいいからだ」と書いた。それはある意味では当たっていると思うが、今回の引退報道を見て、実はもう一つの理由があると気づいた。ドイツメディアにとっては、昨年6月に代表を引退した時点で、すでにバラックのキャリアは終わっていたのではないだろうか。つまりそれほど彼らにとって、「バラック=代表キャプテン」のイメージが強いのだと。だから代表引退後のバラックにはさほど興味はないし、その後クラブでちょっとくらい復活しようが、わざわざそれを、彼のキャリアをまとめた記事に組み入れることはないのだろうと。
それはファンにとってはいささか不満の残る話ではあるが、それほどまでに同国人にとって、彼は「代表キャプテン」のイメージが強いのだと思うと、なんだか嬉しく、また納得もできる。引退に際して寄せられた著名人たちのメッセージも、そのほとんどが代表での貢献を讃えていた。バラック自身も、代表に強い誇りとこだわりを持っていた。できれば最後まで代表選手のまま、サッカー人生を締めくくりたかっただろう。だが彼が目をかけていた若手よりも、もっと若い世代の選手たちが台頭し、彼はそのまま代表から押し出される形で引退した。形式的には、彼が代表ユニを脱ぎ、その右腕からキャプテンマークを外した時点で、「バラックの時代」は終わったといえる。だが実際は、彼が以前のような絶対的な存在感を代表で発揮できなくなっていた時点で、その時代はすでに終わっていたのだった。

バラック目バラック科バラック属
今、 バラックのプレーとして真っ先に思い出すのは、不思議とゴールシーンではなく、驚異的な運動量 でピッチを縦横無尽に駆け回っている姿だ。ついさっきまで自軍ゴール前で守備をしていたのに、気づくともう相手ゴール前に飛び出し、ヘディングシュートを放っていた。その光景を、私はもはやノスタルジックな感傷とともに思い出す。それは単に「懐かしい」というだけでなく、バラックのような選手は、もう今のサッカーでは見ることができないのではと感じるからだ。 よく「スピード重視の現代サッカーから絶滅した、古典的な司令塔」としてジダンやリケルメの名が挙がるが、バラックもそうした「絶滅種」に含まれると思う。 だがバラックは彼らのような司令塔タイプとは少し違う。「得点力のある中盤」として、ジェラードやランパードと同種にされることも多かったが、彼らともまた微妙にタイプが違うように思う。ファンのひいき目かもしれないが、バラックはどこにも属さない「バラック種」とでもいうべき、オンリーワンな存在だっ た。完全に独立した種として、本種のみでツチブタ目ツチブタ科ツチブタ属を形成するツチブタのような存在。
プレースタイルだけでなく、その個性もまた独特なものだった。結局は国際タイトルを獲得できなかったことをさして「Unvollendete(未完成)」と言われることも多いが、肝心なのは、彼が決してあきらめなかったことだ。サッカーに限らずスポーツは「結果 が全て」だと分かってはいるが、国際タイトルを求めて挑戦を続けたバラックのサッカー人生は、そう簡単にはファンから忘れられないだろう。

「たとえ大きな国際タイトルが取れなかったとしても、彼はフットボールのチャンピオンだ」 by Thomas Bach
http://www.welt.de/sport/fussball/article109594568/Ballack-einer-der-Groessten-des-deutschen-Fussballs.html

2012年10月22日執筆