ドルトムント訪問記
・その1 ・その2
・その3 ・その4
   
   
   
   
   
   
   
   




黄色から赤へと変わる原色の街

 食事を終えて店を出ると、すでに夕方だった。といってもこの時期のドイツは日が長いので、まだ空は明るい。そして試合の興奮はまだ続いていた。だが試合前にはあんなに大勢見かけた、スウェーデンサポーターたちの姿がない。代わりに、赤いユニフォームを着たトリニダード・トバゴのサポーターたちが、わが物顔で歌い踊っていた。街は今や、トリトバサポーターたちの祝宴会場と化していた。試合前には黄色に染まっていた街が、今は赤く染まっていた。
 公園に人だかりが出来ていたのでのぞいてみると、大勢のトリトバサポーターたちが踊りまくっていた。リラックスしていた試合前とはうってかわって、激しく腰をくねらせ、全身で喜びを表現している。彼らの中のリーダー格が、近くで見物していた女性を「舞台」に誘い出し、背後から抱きかかえるようにしてエロティックな踊りを始めると、その場の興奮は最高潮に達した。
 もっとその光景を見ていたいと思いつつ、そろそろ帰らなくてはと思い、後ろ髪をひかれながらドルトムント中央駅へ。駅前の繁華街にスポーツショップを見つけて、吸い寄せられるように中に入る。「ボルシア・ドルトムント」のサポーターグッズがあふれていることを期待したのだが、さすがにこの時期はショップも代表メインらしく、いつもの代表ユニと、代表選手たちのポスターが幅をきかせていた。
 それでもさすがドルトムント。外に出れば、ワールドカップ前にドイツ代表から外れてしまったヴェアンス(ドルトムントのベテラン選手)の代表ユニを着た熟女が二人、夕暮れの街を闊歩していた。「代表から外れようがなんだろうが、あたしたちはヴェアンスの ファン」だと誇らしく宣言しているようでもあった。


公園内のステージのようなところで、トリトバのサポーターたちが踊っていた。まるで優勝したかのような騒ぎだが、実は引き分け。初出場の同国にとって、ワールドカップで勝ち点1を取るというのはそれほど大変なことなのだろう。
見つけると、ついつい引き寄せられてしまうスポーツショップ。見つけるたびに、クラニーに哀れを感じる アディダスの広告ポスターもあった。
(クラニーはワールドカッブ代表から落選)

ヴェアンスのユニを着た年配の女性二人。サポーター歴も年季が入っていそうだ。


 そんな風景に目を奪われながら、中央駅に到着。発着時刻表で「ケルン行き」の列車を探し、ホームでも、列車の行き先表示をを確認してから乗り込む。椅子に座ったとたん、どっと疲れが押し寄せてきた。一日中歩き回っていたから無理もない。スタジアム観戦はできなかったけど、日本びいきのマスターがいるビストロで、スクリーン観戦できて楽しかった。快い達成感にひたっていると、たちまち眠気が襲ってきた。車内にアナウンスが流れ、周りの乗客がいっせいに列車を降り始めたが、眠気の方が勝っていた私は気にせず、うとうとしていた。やがて列車が発車すると、瞬く間に意識を手放し、次に目を覚ました時にはすでに終着駅だった。
 外はもうすっかり暗くなっており、時計を見ると夜11時。寝ぼけた頭で列車を降りる。そのままぼーっと他の人たちの後をついて駅を出て、そこで初めて気がついた。ここ、ケルンじゃない。

チョンボから生まれた幸せな瞬間

 ケルン駅なら、すぐ目の前に大聖堂が圧倒的な高さでそびえているはず。振り返ると、駅には「Munster」の文字。ミュンスターといえば、再洗礼派の悲劇で有名な街。そうか、ここがかつて再洗礼派が支配して、そして処刑された街なのか…などと、感慨にふけりそうになるのをなんとか押さえ、駅の構内へと引き返す。ミュンスターとケルンは、全くの反対方向。あの時、発車前に流れたアナウンスは、「行き先が変わります」と告げていたのだ。だから周りの乗客はみんないっせいに列車を降りたのだ。ドイツ語が分からないのは仕方がないが、いくらうとうとしていたとはいえ、他の乗客の動きを見て、なぜ「おかしい」と気づかなかったのか。H氏が「ドイツの列車は、発車直前に突然行き先が変わることがあるので、アナウンスに注意すること」と言っていたのに。肝心なときに、それを全く忘れていた。
 とはいえ、それほど絶望的になることもなく、とりあえず発着時刻表でケルン行きの列車を探す。ケルン行きはなかったものの、ドルトムント行きはあった。とりあえずドルトムントに戻って、そこからケルンに向かおう。もし、もうケルン行きの列車がなかったら?――そのときはそのときだ。
 また方向違いの列車に乗ると今度こそ帰れなくなるので、私は念のため、駅員さんに「ドルトムント行きはいつ?」と英語で聞いてみた。だが相手のおじいちゃん駅員はきょとんとしている。どうやら英語に馴染んでいるのは若い世代だけで、この年代はドイツ語オンリーらしい。
 でもまあ、次のドルトムント行き列車は発着時刻表で確認ずみなので、駅員さんに礼を言ってホームに上る。すでに深夜。ユニフォームを来た男性サポーターが数人、ベンチに横たわって眠っている。ここで夜を明かそうというのだろうか。すごいなあ…などと感心していると、後ろから声をかけられた。振り向くと、さっきのおじいちゃん駅員だった。「ドルトムント行きの電車は、このホームから出るよ」
 すでに分かっていた情報とはいえ、わざわざ私を捜して、教えてくれた駅員さんの親切に私は胸が熱くなった。見知らぬ 旅先で、思いがけないところで人の優しさに触れる。こういう体験が旅行、特に一人旅の醍醐味ではないだろうか。列車の行き先が変わったことにも気づかずに爆睡した大チョンボすら、こんなかけがえのない一瞬を味わうための前フリだったのかと感謝したくなる。深夜の駅のホームでひとり、私は心細さなど全く感じず、幸せな気分で列車を待った。

 やがて、到着した列車に乗って再びドルトムントへ。駅に降りると、まだサポーターがあちこちにおり、試合後の賑わいが残っていた。それを見てほっとしながら、発着時刻表でケルン行きの列車を探す。――あった! よかった。といっても一時間くらい待たなければならないけれど、最悪の場合は駅で一番過ごすことも考えていたから、ケルンに戻れるだけでありがたかった。
 ベルリン中央駅ほどではないにしろ、ドルトムント中央駅も結構大きく、構内にはちょっとしたスーパーマーケットもあった。スーパーが好きな私はここで時間をつぶそうと、店内をうろうろしていると、「あの、日本人ですか?」と声をかけられた。日本語だった。
 振り向いて「はい」と答えると、相手は細身の若い日本人男性。リュックを背負っているところをみると旅行者らしい。眼鏡をかけた真面 目そうな雰囲気の彼は、私に言った。
「日本語でインターネットできる店を知りませんか? 日本語でメールが出せるような」
「さあ……私も旅行者なので」と答えると、彼は驚いたようにを目見開き、「ここに住んでるのかと思いました」
 私は一瞬とまどったものの、それだけドイツの風景に溶け込んでいるんだと解釈し、なんとなく嬉しくなった(確かに深夜のスーパーでひとり、ミニバッグ一つでうろうろしていたら、地元民に思えるだろう)。そしてふいに、ドイツに来る前に読んだネットの記事を思い出した。中田選手がデュッセルドルフに、ワールドカップ期間限定で『ナカタカフェ』をオープンさせるという記事を。日本のサポーターの情報交換の場となるよう、日本語でインターネットもできるらしい。
 そのことを伝えてから、私は彼と別れた。後になってから、彼の携帯番号やメールアドレスを聞いておけばよかったと思った。そうすれば、H氏の家に戻ってからネットで調べて、『ナカタカフェ』の住所を彼に教えてあげられたのに。だがあのときは、とっさにそこまで気が回らなかった。
 そうこうしているうちに、ケルン行きの最終列車の出発時間が迫ってきた。この駅のホームでもまた、ベンチで眠っているサポーターを見かけた。その姿を目の端におさめながら、ホームにすべりこんできた列車に乗り込む。チュース、サッカーの街ドルトムント。またいつか再訪する日まで。

追記
あれから五年後。ドルトムントに移籍した香川選手の活躍を聞くにつけ、あの日本好きのマスターのことを思い出す。ドルトムントは昨シーズンに久しぶりの優勝も果 たしたし、きっと喜んでいるに違いない。ドルトムントを訪れる日本のファンは、機会があれば「ANNO 1900」に行くことをおすすめしたい――と書いてから、今も営業しているかどうか調べてみた。ドイツ版グーグルで店名と電話番号で検索すると、五年前に私が書いた日経レストランの記事が出てくるのみ。なので今も営業中かどうか定かではないけれど、シチリー島出身の奥様が作るピザを食べるだけでも行く価値があると思うので、住所などを載せておく。


店名「ANNO 1900」
住所:Dortmund Mitte Stefanstrasse Ecke Bruderweg 9
営業時間:11:00〜翌朝1:00(週末は翌朝3時や5時まで延長することも)