ドルトムント訪問記
・その1 ・その2
・その3 ・その4
   
   
   
   
   
   
   
   




日の丸をかかげたビストロを発見。さっそく入ってみよう。

日の丸に導かれて

 そういう訳で、私はサポーターで混みあう大通りから離れた、裏通 りへと歩を向けた。急に通行人の数が少なくなる。これ以上、ひとけのない場所に行かない方がいいかも……と思い始めたとき。正面 にドイツ国旗をかかげた店を見つけた。近づくと、ドイツ国旗の横に、日の丸もはためいている。ドイツ人にはサッカーのブラジル代表ファンが多いので、自国旗とともにブラジル国旗をかかげているのはよく見るが、日本の国旗は珍しい。
 何か、日本と関係がある店なのだろうか? 店名はANNO 1900。ドイツ語で「1900年」という意味だ。もしかして、1900年創業の歴史ある店なのかも。興味をひかれた私は、その店に近づいてみた。開け放たれた大きなドアから、店内の様子を伺う。天井から吊るしたスクリーンでサッカーを放送している。それがトリニダード・トバゴ対スウェーデンの試合中継だと分かったとたん、私は反射的に店内に足を踏み入れていた。

 店内は半分ほど席が埋まっていた。ユニフォームを着た、サポーターらしき人はいない。みな、飾らない私服姿で、真剣な顔でスクリーンに映し出される試合を見ている。どうやら地元のサッカー好きが集まる店らしい。見知らぬ アジア人がいきなり店に入ってきても、誰も気に留めないようだ。
 ただひとり、マスターだけが私に気づいて(当たり前だ)、メニューブックを持ってきてくれた。とりあえず、ドルトムントを代表するビール、ピルスナーを注文する。
 それから料理。常に持ち歩いているドイツ語会話帳を見ながら、「この店の一番のおすすめはなに?」とたずねる。マスターがメニューブックを指さした。魚のフライ料理らしい。ドイツで魚料理が食べられるのは珍しい。いったいどんな魚なのかと、私はそれを注文した。
 注文した料理を待つ間、改めてスクリーンに目をやる。試合はまもなくハーフタイムになろうとしていたが、0対0のままだった。スウェーデンの圧勝だろうといわれていた試合だが、どうやら予想以上にトリニダード・トバゴが頑張っているらしい。

このとき、この店を取材した「日経レストラン」の記事
http://nr.nikkeibp.co.jp/topics/20060629/index4.html

 カウンターに積まれていた新聞を何紙か手に取り、自分のテーブルに戻る。どの新聞も、昨日のドイツの開幕戦勝利を一面 で大きく報じている。昨日はこの店も、試合を見ながら盛り上がっていたんだろうな。今はみんな、比較的冷静に試合を見ているけれど。
 そんなことを思いながらスクリーンを眺めていると、まずビールが、続いて魚のフライ料理が運ばれてきた。予想以上のボリュームである。でもお腹が空いていたので、喜んで食べる。思っていたより脂っこくなく、スパイスが効いて美味しい。ビールも適度にコクと苦味が効いて、飲みやすい。
 何より、店内の落ち着いた雰囲気がいい。壁には、かつてBVBドルトムントで活躍した選手たちのモノクロ写 真が飾られている。といっても選手名は分からないが、今よりずっと短いサッカーパンツの丈と、粒子の粗いモノクロ画像から推測するに、きっと昔の選手達だろう。
 同じくモノクロの、ハンフリー・ボガートのポスターも飾られている。木目調の内装にマッチする、そんなレトロな雰囲気が心地よい。駅前や大通 りの、ワールドカップならではのお祭りムードも楽しいけれど、そんなムードにちょっぴり疲れを感じた時にちょっと一杯飲むには、まさにぴったりの店じゃないだろうか。「よし、この店も日経レストランのWEBで紹介しよう」と思った私は、近くに座って試合を見ているマスターに名刺を見せ、店内の写 真撮影の許可を請う。口髭がダンディーな長身のマスターは、快くOKしてくれた。

ビールサーバーからビールを注ぐ。
店の名物は、シチリー島出身の奥様が作るピザ。
値段は3〜7ユーロほど。
ドルトムントはミュンヘンと並ぶビールの街。
この店のピルスナーは飲みやすい。


「私は日本のサッカーが好きだ!」

 外観と店内の写真を撮った後、「この店の名物」とマスターが言うピザも注文して、撮影した。なんでもマスターの奥様がイタリア・シチリー島出身で、彼女がつくるピザや、イタリア料理目当ての常連客も多いとか。ショップカードを見て気づいたが、この店はバーではなくてれっきとした「ビストロ」。料理が美味しいのも納得やなあ…とか思いながら、スクリーンの試合を眺めつつ、マスターに取材する。といってもドイツ語会話帳を指さしながら、ぎこちなく単語を並べるだけで、とても「取材」と呼べるような代物ではない。するとマスターがニッコリ笑って、「ドイツ語は難しいから、英語でOKだよ」。
 いやあの、私英語も話せないんですけど……とは、笑顔のマスターを前にしてとても言えない。そもそも、英語もロクに話せない者が、異国で取材なんて「ふざけんな」っつー話である。私もそれは後悔していた。しかし私から編集部に提案して、依頼された仕事なのだから仕方がない。
 マスターの心遣いを有り難く受け取り、片言のドイツ語と英語が入り交じったトンチンカンな言語で質問してみる。まずは、「どうして店頭に日の丸を飾っているの?」
 マスターは「日本のサッカーが好きだからさ」と即答した。ワールドカップ直前に行われた日本とドイツの親善試合を見て、日本のサッカーにえらく感動したらしく、「日本サッカーにはスピードと、パワーがある」と人差し指を立てながら力説。私が日本人だからお世辞を言っている訳ではないことは、その熱心な話しぶりからもよく分かった。今、自分は日本という国を代表して、ドイツ人から日本サッカーへの賞賛を承っているのだと思うと、思わずぴんと背筋が伸びた。(このときは私も、あの試合が日本のピークだとは思っていなかった……)

「シャカ・ヒズロップ!」

 そうこうしてる間にも、スクリーンではトリトバ対スウェーデンの試合が白熱していた。後半一分でトリトバは一人退場。ただでさえ初出場で相手とは戦力差がある上、一人少ない状態で戦わざるを得なくなったトリトバが、失点するのは時間の問題と見えた。が、やはりサッカーは分からない。一人少なくなったことでかえってトリトバの選手たちが一丸となったのか、それともゴールキーパーに何かが取り憑いたのか。残り20分になっても、0−0の均衡が続く。初めのうちは「そのうち点が取れるだろう」と思っていたであろうスウェーデンの選手達が、今や必死の形相でトリトバゴールに迫っていく。だがそれらをことごとくキーパーがはじき返すのだ。そのたびに、店内ではドイツ人たちが歓声を上げていた。さすが、何かと日本人と「似ている」と言われるドイツ人。日本でいう「判官贔屓」のような感情を持ち合わせているらしく、初出場で予想外の健闘を見せているトリトバを応援しているようだった。
 結局、試合は0対0のスコアレスドローで終了。審判の笛の音が響くと、店内からいっせいに拍手と歓声が沸いた。まさにマン・オブ・ザ・マッチの活躍を見せたキーパーの姿がスクリーンに映し出され、その名がアナウンサーに呼ばれると、マスターは拍手しながら「シャカ・ヒズロップ!」とその名を繰り返した。素晴らしい活躍をしたチーム、選手なら、それがドイツ人でなくても心から讃えるムードが、店内に満ちあふれていた。
 それからほどなく、見るからに気落ちした様子のスウェーデンサポーター数人が、店内に入ってきた。彼らが椅子に座るなり、近くにいた客がいたわるように話しかける。試合前にはあれほど目に鮮やかだったライトイエローのユニフォームが、なぜだか妙に寂しげに見えた。  >>続く