誰も、好きこのんで迷子になる人はいない。もちろん私も例外ではない。だが重度の方向オンチで、かつ「道を覚える」能力が著しく欠如しているため、これまで幾度となく迷子になってきた。子どもの頃、遊園地や動物園で迷子になったことは数知れず。きっと初めての道だろうが見知らぬ 土地だろうがお構いなしに、自信満々に早足で歩いていくのがよくないのだろう。
  大人になってもそれは治らず、迷子経験を繰り返すうちに、いつしかすっかり慣れっこになってしまった。道に迷っても、「あーあ、またか。ま、そのうち目的地に辿り着くだろ」とあっさりと流してしまって、反省しない。なのでまたもや同じ過ちを繰り返す。地図を見ない。周りを確認しない。一度通 った道を覚えようとしない。そして迷子になる。この繰り返し。いくら道に迷っても、結果 的にはなんとか目的地に辿り着けてしまう悪運の強さも、私がいっこうに成長しない一因かもしれない。
 地図を見ながら歩く、というのが苦手なせいもある。なのでドイツにも地図は持っていかないことにした。ひとけのない荒野を歩く訳ではない、街を歩く旅である。もし道に迷ったら、道行く人や、店の人に尋ねればいい。そうした現地の人との触れ合い(向こうにしてみれば迷惑なだけかもしれないが)もまた、旅の楽しみのひとつなのだから。

  ドイツに、進んで迷子になりに行った訳ではない。だが「もし道に迷っても、それもまた良し」と思いながらドイツに渡ったのだから、結果 的には「迷子になりに行った」のと同じことなのかもしれない。


 日本でもしょっちゅう迷子になる人間が、ドイツで迷わない訳がない。基本的に、旅行中は毎日迷子になっていた。それらを全て書いているときりがないので、もっとも長時間さまよい続け、でもそのおかげでとびきり素敵な場所に巡り合えたときのことを書こうと思う。

 それは6月7日、ケルンでのことだった。既に「サッカーを見る」で書いたように、この日はワールドカップの前売券を買おうと思ってシュタディオンのチケットセンターへ行ったものの撃沈し、その後、市電の「Universitats-str」駅で下車した。安い床屋を探すため、周囲に学生街が広がるこの駅に降りたのだが、降りたとたん、ケルン中心街の喧騒とはかけ離れた、ゆったりした時間が流れるこの町に魅了されてしまった。広大な敷地の大学と、それに隣接して立ち並ぶ学生マンション、カフェ、文房具店などが、豊かな緑の木々の中にしっくりととけこんでいる。
  ケルンは他のドイツの街に比べて、緑が少ない」と、よくドイツ人に言われるそうだが、ここに来るととてもそんな風には思えない。私は「床屋を探す」という目的が自分の中で二の次になってしまうのを感じながら、周囲をのんびり散策した。市電が走る大通 り「Universitatsstrasse」を歩いていると、左側に塀に囲まれた庭がえんえんと続いている。その規模から見て、そこが大学であることが分かった。(後で調べると、そこはケルン大学だった)
 やがて、その塀の門が開放されている場所にたどりついた。年配の、どう見ても学生に見えない他の通 行人たちもその門から中に入っていくのを見て、私も後に続いた。
 塀の外からだと広大な庭に見えたそこは、実は美しく整えられた墓地だった。大学構内に墓地があるのは、歴史ある大学なら別 に珍しいことではない。さっき、私より先に構内に入っていった年配のご婦人たちも、きっと墓にお参りに来たのだろう。
 墓に眠る故人とは何の関係もない私も、なんだか厳かな気分になって、しばしその墓地にたたずんでいた。横浜の外人墓地などで、十字架が並ぶ墓地は見たことはあるけれど、この墓地はまた、あれとは趣が違っていた。同じキリスト教の墓地でも、横浜の外人墓地はプロテスタントの墓―――すなわち火葬の墓が多かったように思う。
 だがカトリック教徒の多いここケルンでは、見た限り、土葬の墓がほとんどだった。そして私は、土葬の墓を見るのが初めてだった。ちょうど人間が横たわれる大きさの長方形の墓は、どれも花や緑で美しく覆われていた。生け花のブーケが添えられている墓も多い。いずれの墓もきちんと手入れされており、ドイツ人の几帳面 さと、墓を大切にする民族性が偲ばれた。

 墓地を出た私は、大通りを横切って、大学の向かい側へと渡った。いかにも外国の、大学生活を描いた青春映画に出てきそうな並木道がある。きっとこの道の向こうには大学があるんだろう…と期待して並木道を歩いていったが、そんなに思い通 りにはいかず、いくつもの道路が交差した「町」に出た。そこかしこに、小さな可愛い店がある。もう夕方の6時頃だったが、この時期のドイツは日が長く、外はまだまだ明るかった。安い床屋を探してこの町に来た私だが、とりあえずカフェか、レストランを探すことにした。家を出る前に朝食を食べたきり、何も食べていなかったのだ。
 だがこんな夕方に、しっかり食事を食べさせてくれる店もなく、結局入ったのはケーキが美味しそうなカフェだった。 旅行のついでに、ドイツのレストランを取材する仕事を頼まれていた私だが、既にケルンのカフェは取材済みだったので、この店の取材はなし。それでも、ショーケースに並んだ色とりどりのケーキを見ると、つい取材用に覚えたドイツ語で店員さんに尋ねてみたくなる。
「Was wollen sie uns empfehlen?(あなたのオススメはなんですか?)」
 すると若い男性店員は、にっこり笑ってキウイのトルテを指差した。私はそれを注文した。
 昼食代わりにケーキなんて、日本では考えられないかもしれない。だがドイツのケーキはどれもずっしりと大きく、食べごたえたっぷりなのだ。とても、「食事の後のデザート」なんて脇役におさまるようなシロモノではない。それ自体が「主食」として十分なりたつ。少なくとも私にとっては。

ベッケンバウアーやマテウスなど、往年の名選手たちが出演する広告棟を発見。O2という電話機の広告らしい。 いかにも大学街といった風情をかもしだす、美しい並木道。

 私はケーキを食べながら、レジの横に積んである新聞の束を目ざとく見つけた。日本で喫茶店に入ると、必ずレジ脇のスポーツ新聞を取ってからテーブルにつく私だが、ドイツにもそうした習慣はあるのだろうか? 分からないが、とりあえず立ち上がり、その新聞を何冊か手に取って、これも取材用に覚えたドイツ語「Darf ich?(いいですか?)」聞いてみた。するとすぐ「ja!」と愛想良く返される。やはりドイツのカフェでも、客の閲覧用に、その日の新聞を置いてあるらしい。私はさっそく手に取った新聞の束を自分のテーブルに持ち帰った。
 ドイツの新聞は、社会面、スポーツ面、家庭面などがそれぞれ独立して束になっており、日本の新聞の何倍も分厚い。私が主に見るのはもちろんスポーツ面 (というより、スポーツ新聞)。ドイツ語はさっぱり分からないが、WM開催間近とあって、どのページにも各国のスター選手の写 真が大きく掲載されている。それらを見ているだけで楽しめた。
 特に表紙にバラックの写真が掲載されている、フランクフルター・アルゲマイネ紙は気に入った。バラックが表紙の雑誌や新聞はよく見かけるが、たいていゴール後の、雄叫びをあげている顔ばかりだ。しかしこの新聞は、ふとしたときに見せるバラックの愛嬌のある表情をよくとらえていた。さすが有力紙、カメラマンの腕もいいのだろう。

 私は食べ終わって会計の際、ダメもとでその新聞を見せ、「この新聞、買いたいんだけどお幾らですか?」と聞いてみた。すると店員は、身振りつきで「どうぞ、そのまま差し上げますよ」と言ってくれたのだ。私は嬉しくて、おつりをもらう際、それをチップとして店員に渡した。ヨーロッパの習慣として仕方なく払うチップではなく、本当に心から「ありがとう」という思いをこめてのチップだった。店員も喜んでそれを受け取ってくれたし、こういうやりとりはとても気持ちがいいものだ。
「Wiedersehen!(さようなら)」
 私はさっき、他の客と店員のやりとりを見て覚えたばかりの別 れのあいさつをして、店を出た。店員も「Wiedersehen」と返してくれた。


ふらりと入ったカフェで見つけた、フランクフルター・アルゲマイネ紙