旅行先、しかも海外旅行先で床屋に行く人って、あんまりいないと思う。やはり自分の髪は、行き慣れた、信頼できる床屋で切りたい。
しかし日頃からヘアスタイルに無頓着な私は、コレといって決まった床屋やヘアサロンがなく、その日の気分であちこち渡り歩いていた。(以前、情報紙の「ヘアサロン特集」の仕事をしていたときに知った言葉だが、私のような人間を「ヘアサロンジプシー」と言うらしい)
床屋に行く動機も、髪が伸びてそろそろうっとうしくなってきたとき、「カットしてもらう」ためだけに行く。なので行く回数もせいぜい2〜3ヶ月に一度程度。ヘアカラーも市販品を買ってきて、自分で染める。
こんな「髪無精」な人間だからこそ、髪が伸びて、「そろそろ切りに行かなきゃ」と思ったとき、「そうだ。どうせ切るならドイツで切ってもらおう」と思い立ったのだろう。自分のヘアスタイルにこだわりがある人は、得体のしれない異国の床屋で、髪をいじってもらおうとは思わないはず。
いや、これがもし旅行先がイギリスだったら、ヘアスタイルに敏感な人はイギリスで切ってもらおうとするかもしれない。これも前述の「ヘアサロン特集」の取材をしていたときにスタイリストから聞いた話だが、ヘアスタイリング、特にヘアカットの先進国はイギリスらしい。そのスタイリストもイギリスに留学して、現地のヘアサロンで修業してきたとか。
だがドイツに関しては、そういう評価はあまり聞かない。そりゃベルリンなどの都会に行けば、流行の先端をいくヘアサロンが幾つもあるだろうが、私はそういう店に行く気はなかった。「値段が高そう」というのもあるが、できればドイツの庶民が日常的に利用している、ごく普通
の床屋に行きたい。そんな夢を抱きながら、いい加減伸びすぎてうっとうしくなってきたボサボサ頭でドイツへ渡ったのだった。
とりあえず、目標は達成した。しかし切ってから一ヶ月しか経っていないのに、毛先がありえないほどハネまくって、今すぐにでも切りに行きたい状況である。なのでドイツで髪を切ってもらって果
たして正解だったのかどうか、今となっては判断しかねる。
でもいいのだ。「ドイツで床屋に行く」ことそのものが目的で、結果
は元から度外視していたのだから。
それにこうなることは、薄々予測していたことでもあった。私はドイツに着いてすぐ、私に部屋を貸してくれたケルン在住のH氏や、その友人に、ドイツの床屋の評判を聞いてみた。が、答えは概ねかんばしくなかった。ドイツ在住歴10年のH氏は、一度もドイツで床屋に行ったことがなく、自分でカットしているという。「だってドイツの床屋って高いし、態度も偉そうな割りにはあんまり上手くないし」だそうだ。
またH氏の友人で、今年の1月からドイツにワーキングホリデーで来ているK君曰く「一度行ったけど、バリカンで坊主にされた。もう二度とドイツで床屋に行きたくない」らしい。それを聞いた私の顔色が変わったのを見て、すかさず「でも女性の客なら、バリカンで刈るなんてことはせず、もっと丁寧にしてくれると思うけどね」とフォローしてくれたけれど。
うーん、やっぱりそうか。なんとなくイメージ的に、ドイツの床屋って「あんまりセンスは良くなさそう」とは思っていたけど。でもセンスはイマイチでも、基本に忠実に、精密機械のような正確さでカットしてくれそうだ。カットしたら半年くらいは余裕でもちそう…と都合のいい期待をふくらませる私だった。
気になるのは、H氏の言う「値段が高い」ということだ。田舎の床屋でも、カットだけで30ユーロはするらしい。30ユーロといえば、日本円で約4500円。確かにそれはちょっと高いかも。
「あっでも、学生街なら安いかも」とH氏。市電の「Universitats-str」駅付近なら、学生向けの安い床屋があるかも、と言う。私はさっそくそこに行ってみることにした。
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安いヘアサロンを探して尋ねた学生街は、緑あふれる憩いの園だった。 |
ドイツに到着して三日目の、6月7日。この日は「チケットセンターでワールドカップの前売り券が売られている」といネットの噂を信じて、ラインエネルギー・シュタディオンに前売り券を買いに行き、見事に玉
砕した日でもあった(詳しくは「サッカーを見る」参照)。
シュタディオンからの帰り道、このまま帰るのは勿体ないと思った私は、再びケルン市内を走る市電に乗って、「Universitats-str」駅で下車した。Universitats-strとは訳すと「大学通
り」という意味で、その名の通り静かな学生街だった。賑やかなケルン中央駅近とは、全く雰囲気が違う。何より観光客らしき人の姿が全くない。通
りを歩く人の姿も少なく、時おり地元の学生らしき若者の姿をぽつぽつと見かける程度。初夏の緑が生い茂る木立も多く、私はなんだかほっとして、床屋を探してふらふら歩いていると…道に迷った。地図も持たずに歩いているのだから、当たり前だ。そのあたりのことは「迷子になる」に詳しく書くとして、とりあえず最初に見つけた床屋は、市電が走っている大通
り沿いの床屋だった。外からウィンドウ越しに中を覗くと、なかなかセンスが良さそう。床屋というよりヘアサロンと呼んだ方がふさわしい店構えで、ここならバリカンで刈られる心配もなさそうだ。値段表が表に貼られていないのが不安だが、とりあえず中に入ってみる。
「Guten tag!」
誰もいない店内に呼びかけると、すぐに若い女性が奥から出てきた。だがあいにく、このサロンは予約制らしい。そのことを女性店員に告げられた私は、「チュース(またね)」と言って店を出た。
そのまま大通りを歩いたが、他に床屋らしき店は見当たらなかったので、脇道に入ってみることに。学生寮らしき建物が続く通
りを歩きながら、床屋を探す。この季節のドイツは「白夜」に近く、夕方になっても陽が沈まない。ようやく暗くなるのは、夜の9時を過ぎてから。なのでこのときも時計は既に6時半を回っていたが、真昼のような明るさだった。
だがいくら外が明るくても、それでも営業時間が過ぎると店は閉まってしまう。ドイツの商店はたいてい7時には店じまいする。急いで床屋を探さないと…と焦っていたとき、ようやく見つけた。Hans-Sachs-Strにある、ちょっと野暮ったい店構えのヘアサロン。店内には若い男性スタイリストと若い男性客。男子学生ご用達のサロンかな、ちょっと腕前が不安やなあ…と思ったものの、ウィンドウに貼られた値段表に目をやると、あら安い。「waschen(シャンプー)+schneiden(カット)+fonen(ブロー)」で、22ユーロ。これはまさに私のための床屋さん!と、迷わずドアを開け、中に入った。
出迎えた若い男性に、片言の英語と身振り手振りで「髪を切りたい」と伝える。「今すぐ?」と聞き返すので「Ja!」と答えると、「Let's
go!」と威勢よくシャンプー椅子に案内された。濡れないようにタオルを首に巻いてくれるのは日本と同じ。だがシャンプー椅子は、日本のようにあまり深く後ろに倒れない。そのせいだろうか、それともこの若い男性スタイリストが下手なのだろうか。シャンプーされている間、水が耳にたれてきて、耳穴に入ってきたのには驚いた。
洗髪が終わり、いよいよカット。指で「これくらい切って」と指示する。ちゃんとハサミで切ってくれるのを見て一安心する。よく見ると店内には、店長らしき年配の男性もいて、若いスタッフに指示していた。いずれにしろ、スタッフは全員男性らしい。
カットしながら、スタイリストがお客に話しかけるのも日本と同じ。私も「Ich
komme aus japan(私は日本から来ました)」と、既に暗記している言葉で答える。そして鞄からメモ帳を取り出し、あらかじめ書き記してあった英語を読み上げ、尋ねてみた。
「あなたは今回のWMで、ドイツがどこまで勝ち進むと思いますか?」
するとスタイリストはかすかに苦笑しながら、
「さあ…僕はサッカーに興味ないから」
私はちょっと拍子抜けしたが、だが考えてみれば当たり前だ。ドイツ人で、それも若い男性だからといって、全員がサッカー好きな訳がない。
私はメモ帳を閉じて、スタイリストの手さばきに注目してみた。すると急に、なんだか妙に懐かしいものを見た気がした。スタイリストは髪を切る前、ハサミを指にひっかけてくるくるっと回していたのだ。単なるカッコつけた仕草だが、私は思わず「cool!」とつぶやいた。2〜3年前、日本で「カリスマ美容師」ブームがあったとき、テレビで見たカリスマ美容師と同じ仕草を、まさかドイツで見ることになろうとは。もしかしたらドイツにも、じわじわと「カリスマ美容師」ブームが来ているのか?
そうこうしているうちに、カットはすぐ終わった。日本よりも短く感じる。その後、ドライヤーでブローしてもらい、セット完了。鏡で見ると、うん、なかなかいい感じ。ドイツのスタイリスもなかなかやるやん、と満足して私は店を後にした。
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ヘアサロンでもらったショップカード。
店名 K-style
住所 Hans-Sachs-Str.21
50931 koeln
ドイツの店なのに店名が英語なのは、ドイツでは割と「よくあること」らしい。
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帰宅すると、H氏にも「いい感じやん」と褒められた。値段は22ユーロだと言うと、「それは安い」とも。よかった。ちょっと歩いたけれど、やっぱり学生街のヘアサロンに行って正解だった…と、私は胸を撫で下ろしていた。
が、しかし。最初の方に書いたように、帰国して少し経ってから、毛先が激しくハネるようになった。束になって外側に「くるん」とハネるので、まるで昔の少年アニメの主人公のような髪形になる。もともと毛先がハネるのには慣れっこの私だけど、ここまで激しいハネっぷりは今まで見たことがない。これはやはり、ドイツでカットしたのが原因なのだろうか?といっても別
にあのスタイリストが下手という訳ではなく、ドイツ人の髪質と、日本人の髪質は違うはず。なのでドイツ人の髪を切るのと同じ要領でカットしたら、日本人の髪質には合わず、しばらくすると凄い勢いでハネまくるのかもしれない。
真相は分からないが、一日も早く床屋に行ってカットしたい反面
、今ここで切ってしまうとドイツでの貴重な床屋体験の「証」が消えてしまうような気がして、ジレンマを感じている私であった。
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ヘアサロンの帰り道、池のほとりでくつろぐ白鳥の親子に出会った。 |
〜後日談〜
この項を書いて数日後、ついに我慢しきれなくなった私は近所の美容室に行った。美容師さんは私の髪をいじりながら、
「前に切ったのはいつ頃ですか?」
「一ヶ月ほど前なんですが …」
私は正直に答えたが、ドイツの床屋で切ってもらったことまでは言わなかった。
私の返事を聞いた美容師さんは、少し驚いていたようだった。
わずか一ヶ月前に切ったとは思えないほど、毛先が荒れていたからかもしれない。
そうして日本の美容院で髪を切ってもらうことで、 改めて分かったことがあった。ドイツの美容院では、「髪を軽くする」という概念がないのではないだろう?ということだ。日本だと、カットをお願いすると必ず「毛先をすいて、髪を軽くしますか」
と訪ねられる。少なくとも、私はいつもそう聞かれる。髪の量が多くて、重たく感じられるからだろう。
だが前述のドイツの美容院では、そのようなことは聞かれなかった。もちろん、私が行った美容院がそうだっただけで、他のドイツの美容院では、「毛先をすいて、髪を軽くする」というテクニックがちゃんと備わっているかもしれない。だが日本の美容院のように、それが常とう手段として定着していないのかも、と私は思った。だとしたら、それはきっと、日本人とドイツ人の髪質や、髪の色の違いに由来しているのかも。次にドイツに行った際には、そのあたりのことも確認しておきたい。
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