好きな選手の名前や背番号を、ユニフォームにマーキングしてもらう。そしてそのユニを着て試合を見に行く。サッカーファンやプロ野球ファンにはおなじみの行為で、ごく基本的な選手・チームへの愛情表現だと思う。
 だが私はそれが苦手だった。好きな選手はいるけれど、おおっぴらに「私はこの人が好きなのーーー!」と周りに触れ回るような、そういう行為が苦手なのだ。恥ずかしい。心の奥で、ひっそりとその選手を応援する方が性に合っている。
 それでも一応、好きなチームのユニフォームは持っていて、それを着て試合を見に行ったことはある。といっても、たった一試合だけ、2002年ワールドカップのドイツ対アイルランド戦。この試合を生で見ることがなかったら、きっと買わなかったであろう、ドイツ代表の白いユニだ。
 試合を見るために上京する直前、大阪市内のスポーツ店で購入した。ぎりぎりまで買おうかどうしようかと迷ったが、「日本ではドイツ代表は人気がないし、本国からアイルランドサポーターが大勢来日しているしで、きっとスタジアムはアイルランドサポの方が優勢だろう。だったらせめてこのユニを着ていって、“日本にもドイツファンはちゃんといるよ”ということを伝えたい」と、いささか自意識過剰な思いに背中を押されて購入した。だがいざスタジアムに行って試合が始まると、たちまちアイルランド応援に寝返ったのだから、アホさ加減にも程がある。
 そのあたりのことは「ドイツ対アイルランド観戦記」を参照してもらうとして、とにかく普段買わないユニを思いきって買ってしまうほど、私はドイツを応援する気まんまんだった。だがユニは買っても、背中に選手の背番号をマーキングしてもらうことはしなかった。もし、あらかじめ13番がマーキングされたユニが売られていたら、それを買っていたかもしれない。だが店には背中が白紙のユニしか売られていなかったし、わざわざ店員にマーキングを頼むほどでもないかと思った。自分がドイツファンだということが伝わればいいだけで、どの選手が好きかまでは、伝えられなくても構わなかったのだ。
 だが購入してから改めて気づいたことだが、ドイツ代表ユニ、それも2002年バージョンは実にシンプルなデザインで、背番号がないと単なるスポーツシャツと見間違えてしまうほど。実際、ジムで着るために買ったアディダスのスポーツシャツと間違えて、ドイツ代表ユニをジムに持っていってしまったことがあるほどだ。

左がドイツ代表ユニ、右がスポーツシャツ。どちらもアディダス製なので、 違いは「胸にドイツ代表のエンブレムがあるか否か」だけといってもいいほど、似通 っている。


 そうして2002年WMも終わり、役目を終えたドイツ代表ユニはタンスの中へとしまわれた。また出番があるとしたら4年後、今度はこれを持ってドイツに行こう。そしてドイツで、13番をマーキングしてもらおう。2006年が近づくにつれ、そんな思いが私の中で次第に強くなっていった。
  言うまでもなく、13番はバラックの代名詞ともいえる背番号だ。そして現地のドイツサポーターのほとんどがこの13番のユニを着てスタジアムに駆けつける、と以前、サッカー雑誌に書かれていた。それを読んだときは「さすがにそれは言い過ぎだろ」と思ったものだが、果 たして実態はどうなのだろうか。それを確かめてみたい興味もあった。
 もちろん「みんなが13番をつけているから、私もつける」という訳ではない。詳しいことは「バラックのいる風景」に書いたが、私は彼のファンなのだ。以前から、ユニに番号をつけるなら13番と決めていた。そしてどうせなら、ドイツのスポーツショップでマーキングしてもらおうと思ったのだ。そしてマーキングされたユニを着て、PV(パブリック・ビューイング)で開幕戦のドイツ対コスタリカを観戦しよう。きっと、周りもドイツユニを着た人たちばかりだろうし。

 ドイツに行く前日、私は久しぶりにタンスからドイツユニを取りだした。やはりユニフォームである以上、背番号がないとなんとなく間が抜けて見える。4年間ずっと空白だったこの背中に、ついに背番号が入るのだ。ユニフォームを手に取りながら、私は自然と4年前を思い出していた。空白だったユニフォームの背中と同じく、私の心にも、4年間ずっとぽっかりと穴の空いた部分があった。惜しくも決勝で破れたドイツ。そして決勝戦に出られなかったバラック。彼の背番号をこの背中に入れよう。彼の名前も入れよう。そうしたら、4年前に果 たせなかった夢を、今度こそ果たせそうな気がした。
  私はそのユニフォームを丁寧にたたむと、スーツケースに詰め込んだ。

 スポーツショップには行った。ケルン、ベルリン、フランクフルトと、街歩きの途中でスポーツショップを見つけると、特に何も買う予定がなくても、ふらふらと吸い込まれていった。
 だがあちこちのスポーツショップに足を運んだにもかかわらず、結局、持参したドイツ代表ユニに13番をマーキングすることはなかった。それ以前に、そのユニをドイツで着ることすらなかった。理由はひとつ。なんだか急に、自分の行為に疑問を感じてしまったのだ。
(なんで私、日本人なのに、ドイツユニを着ようとするの?)
 日本にいた頃は、決して感じなかった疑問である。むしろ周りが日本代表ファンばかりな中、外国の代表チーム、中でもとりわけ人気がないドイツが好きな自分に希少価値を感じてしまって、ちょっと得意げになっていたりした。
 だがいざ念願のドイツに来て、さあ思う存分ドイツ代表を応援できるぞとなったとたん、自分を振り返って躊躇してしまったのだ。きっと周囲がドイツ人ばかりの環境に身を置いて、改めて自分が「日本人」であることに気づかされたからだろう。
 日本人が外国に行くと、急に「日本人としてのメンタリティー」に目覚める、というのはよく聞く話である。子どもの頃から外国に憧れていた私も、どうやらそれは例外ではなかったらしい。ドイツ人たちの、ドイツ代表への愛情あふれる応援風景を見るにつれ、(私はいったい、何をしてるの?)と自責の念にさいなまれた。「ドイツに行けば、周りはドイツ人ばかりだし、彼らと一緒に思う存分ドイツを応援できる」などと能天気に期待していた自分が愚かに思えた。いくら彼らと一緒にドイツを応援しようとも、私と彼らの間には大きな壁があることに気づいてしまった。彼らは「自国代表」としてのドイツを応援しているのに対し、私は「他国代表」を応援しているという、この厳然たる違い。その違いに気づいてからというもの、私はおおっぴらにドイツを応援することに引け目を感じるようになった。それでもやっぱりドイツ代表は好きだけど、ドイツユニを着るのはやめておこう、と決めたのだ。

 そしてこの決断は、ある意味では正解で、ある意味では自意識過剰だった。それを感じたのはベルリンの、ブランデンブルグ門前のPV会場でのこと。WM開幕戦をここで観戦しようと、大勢のドイツ人サポーターが押し寄せていた。が、見渡すかぎり白人ばかり。ドイツにはトルコ人もたくさん住んでいるはずなのに、彼らの姿を全く見ない。黒人も見ない。アジア人も見ない。私だけだ。周りを大勢の白人に囲まれる中、私だけが「非白人」として、首都ベルリンの、ドイツ人サポーターが大集結する会場にいる。――――日本にいた頃は、そんな「少数派」な自分にちょっぴり優越感を感じていたはずだった。だがドイツでは違った。「いくら人種が違ったって、同じドイツを応援している仲間同士じゃないか!」と開き直ることはできなかった。私と彼らは違う。はっきり違う。だって彼らは「自国」を応援しているのに、私は「他国」を応援しているのだから。

 だがそうした居心地の悪さや、身の置き所のなさを感じていたのは試合前までだった。いざホイッスルが吹かれると、周りのドイツ人たちと一緒に、選手たちのプレーに夢中で一喜一憂していた。やはり私はドイツが、そしてサッカーが好きなんだなあと思った。
 試合以外にも、 ドイツ人サポーターの興味深い生態も観察できたし、今、ドイツでどの選手が人気があるかも分かったし、PV会場に行ったことは全く後悔していない。ドイツユニは着ていかなかったけれど。
 試合後も、会場には大勢のサポーターが残ってドイツの勝利を祝っていた。私も勝利の余韻に浸りながら会場となった6月17日通 りを歩いていると、なんだか急に、懐かしいものを見た気がした。日本代表の青いユニを着ている人がいる。こんなところに日本人サポーターが?と思って顔を見ると、ドイツ人だった。私はしばし彼の姿を凝視した。彼はユニだけでなく、巨大な日の丸の旗をマントのように首に巻き付け、日の丸を翻しながら颯爽と歩いていた。ユニの背番号は「7 NAKATA」。もう、どこに出しても恥ずかしくない日本サポーターである。ドイツ人なのに(笑)。
 なーんだ、他国を応援するドイツ人もいるんじゃないか――と、私はなんとなく笑ってしまった。よく考えてみると、そんなこと当たり前で、ドイツ人が全員、ドイツ代表を応援している訳がないのである。さらに歩いていると、ブラジル代表のユニを着ているドイツ人も発見した。ドイツ人が「ブラジル代表好き」という噂は、やはり本当だったんだなあ。こんなことなら、私も考えすぎずに、ドイツユニを着てくりゃよかった。次からは、私も素直にドイツユニを着てPV会場に行こう。そう思ったが、日本滞在中にドイツの試合を観戦できる機会は、もうなかった。
 結局、私は持参したドイツユニに一度も袖を通すことなく、再び日本に持ち帰った。そして今も、その背中は空白のままである。

ベルリン・ブランデンブルグ門前のPV会場。W杯の熱狂を伝える日本のニュースにもよく登場したこの会場で、私は開幕戦を観戦した。ドイツの街中ではよく見かけたトルコ人や黒人が、なぜかここではまったく見かけなかった。