甘かった。結局、スタジアムでは一試合も見れなかった。それどころか、乗る電車を間違えて、スタジアムまで辿り着けなかった(泣)。
 でも一応努力はしたので、それをざっと書いておきたい。
 まずドイツに到着して三日目の6月7日。ケルンのラインエネルギーシュタディオンに行ってみた。既にチケットセンターへの行列が出来ていたので、とりあえず私もその列に並んでみる。しかしよく見ると手ぶらで並んでいるのは私ひとりで、他の人たちはダンボールの小箱やプリント用紙を大事そうに持っている。小箱には「EURO PACK」と書かれたシールが張っており、どうやら郵送されてきたものらしい。私は嫌な予感がした。
 チケットセンターの入口にはおじさんが二人立っており、入場者に質問して、どのカウンターに並べばいいのか指示していた。列が進み、自分の順番が近づくにつれ、「嫌な予感」が私の中でどんどん大きくなっていく。彼らに「前売りチケットがここで販売されていると聞いて、やって来ました」と伝えなくては。でも、それをドイツ語で何と言えばいいのか分からない。―――そうだ、こんなときのために、日本から持参した「ドイツ語会話帳」があるじゃないか! 私は焦る気持ちを抑えながら、「命づな」とでも呼ぶべき会話帳をめくった。
 しかし当たり前だが、会話帳には「●●に行きたい」「お会計をお願いします」などのごく基本的な旅の会話しか載っていなかった。そもそも「前売りチケット」という単語すら、ドイツ語で何というのか分からない。諦めた私は、仕方なく英語で話してみることにした。とはいえ、その英語も中学レベルなのだが。
「I want to buy WMticket」
 おじさんは一瞬「はぁ…?」という顏をしたが、とりあえず「入って」というジェスチャーをして、私をチケットセンター内に入れてくれた。
 センター内でもまた、壁沿いに人々が並んで、順番が来るのを待っていた。私も彼らとともに並びながら、カウンターでのやりとりをしばし眺める。そこで気付いたこと。センター内では、大きく二つにカウンターを分けて、お客さんを振り分けていた。一つは、既に当選してチケットを持っている人が、そのチケットに書いてある席と他の席を交換する場所。もう一つは、インターネットでチケットを購入した人が、その予約番号をプリントした紙を受付に渡して、チケットと引き換えてもらう場所。さっき列に並んでいた人たちが、郵便パックの箱(中にチケットが入ってる)を持っていたり、プリント用紙を大事そうに抱えていた理由が、やっと分かった。―――ようするに、チケットも持たず、インターネットでチケット予約もしていない私は完全に「お呼びでない」ということだ。
 だがここまで来てすごすご帰るのはシャクなので、とりあえずカウンターで尋ねてみることにした。真夏のような炎天下の下で30分以上も行列に並んだのだ。ここで無言で引き返したら、後々悔いが残るかもしれない。
 ようやく順番がやってきた。私はカウンターへと歩み出て、受付にいた若い女性に片言の英語で尋ねてみた。
「I not have ticket…Can buy here?」
  たちまち、受付の女性が困惑の表情を浮かべ、返答に詰まるのが分かった。数秒の沈黙の後、彼女の言った。
「I'm sorry…the ticket was sold out」
 私は仕方なく「danke」と言って立ち去った。やはり「チケットを前売りしている」というのは根も葉もない噂だったのか。半日を無駄 にしてしまったのは残念だったが、やれるだけのことはやった。
 帰り道、ついでにラインエネルギーシュタディオンを見て帰ろうと思い、シュタディオンの方へと足を向けた。だが遠巻きに柵で囲まれており、近寄ることすらできなかった。

 前売りを買うことは出来なかった。だが諦めるのはまだ早い。まだ「当日券を買う」という手段がある!
  そして当日券販売もなかったら、チケットを余分に持っている人から購入するか、最悪、ダフ屋から購入するという手ある。とりあえず、試合当日は早めにスタジアムに行こう。
 ケルンの知人宅に滞在していた私は、6月11日にケルンで行われるアンゴラ対ポルトガル戦と、12日にゲルゼンキルヘンで行われるアメリカ対チェコ戦を見ようと計画していた。そしてその11日がやってきた。いよいよ私のワールドカップ開幕!と言いたいところだが、実は私は既に、ワールドカップをベルリンで体感してきていた。9日の開幕戦・ドイツ対コスタリカ戦を、ベルリン・ブランデンブルグ門前のパブリック・ビューイング(PV)会場で見てきたのだ。果 たしてベルリンのホテルが取れるか不安だったが、ここでも「行ってしまえばなんとかなる」の精神でとりあえずケルンからベルリン行きの電車に乗った。幸い、ベルリン中央駅のインフォメーションセンターで「今晩泊まるホテルありますか?」と会話帳片手に聞いたら、すぐに希望通 りのホテルを手配してもらえた。詳しいことは「ベルリンに行こう」に書くが、そういう訳で「ベルリンぶっつけ一泊旅行」に成功した私は、「もう電車に乗って、ドイツ中一人でどこへでも行ける」と過信していた。ようするに、すっかり調子に乗っていたのだ。
 だがその過信が仇となった。ベルリンからケルンに戻った10日、休む間も無く今度はドルトムントに向かう。その日はドルトムントでスウェーデン対トリニダート・トバゴ戦があり、街は両国のサポーターで賑わっていた。だが駅に着いたのが遅かったこともあり、私はスタジアムには向かわず、レストラン取材の仕事をかねて訪れたバー「ANNO 1900」で、地元サポーターとともに試合を観戦した。(ドルトムントでの出来事について、詳しくはこちら)

  試合が終わるともう夜の9時だった。すぐケルンに戻ろうとバーを出て、ドルトムント駅からケルン行きの電車に乗った……はずだった。だがちゃんとホームの行き先表示を確認して乗った電車は、直前になって行き先が変わったらしい。後になって知ったことだが、これは実はドイツの鉄道では「よくあること」なのだそうだ。発発車時刻直前に「ケルン行きは●番ホームに変更になりました」と、場内アナウンスが流れることが頻繁にあるらしい。だからアナウンスのドイツ語が聞き取れない外国人には、ドイツの鉄道を乗りこなすのは難しい。私はまさにこのとき、その罠にはまってしまったのだ。
 電車が走っている間、疲れてずっと眠っていたのもまずかった。ようやく目を覚ました頃、電車は既に終着駅に着こうとしていた。既にあたりは真っ暗。他の客と一緒にホームに降り立ち、改札を出る頃になってもまだ、私はここがケルン中央駅だと信じて疑わなかった。
 しかし駅を出るとすぐに目前にそびえたっているはずの、あの大聖堂の姿が見えない。そこでようやく私は「あれ」と思った。しかし、もう遅い。そこはケルンとは正反対の方向にある、ミュンスター駅だったのだ。
 (ミュンスター…!宗教改革時代、再洗礼派が決起したことで有名なこの町に、偶然たどりつけたなんて…)などと感慨にふけっている場合ではない。私はすぐまた電車に乗ってドルトムント駅に引き返した。既に深夜1時を過ぎていたが、相変わらず駅前や駅構内にはトリニダート・トバゴのサポーターがあふれていて、お祭り騒ぎを繰り広げている。それを横目で見ながらホームで1時間くらい待ち、ようやくケルン行きの列車に乗ってケルンに到着、そこから地下鉄に乗り継いで 部屋を借りているHさん宅に着いたのが深夜3時過ぎ…さすがに疲れた。そのまま布団に入って、目覚めたときにはもう昼すぎ。11日は早めにラインエネルギーシュタディオンに行って、ポルトガル対アンゴラ戦のチケットを入手しようと思っていたのが、すっかり予定が狂ってしまった。結局その日はコブレンツまで行って、そこからのんびりライン川クルーズを楽しんだ。といっても、船に乗った時間が遅かったので、ほんの短い距離しか乗れず、ローレライの岩も古城も見れなかったが。

 そんな訳で、ポルトガル対アンゴラ戦は見れなかった。だが私の本命は、翌12日のアメリカ対チェコ戦だった。この試合だけはなんとしても見たい。試合が行われるゲルゼンキルヘンは、ケルンから電車で1時間半ほどで着く。今度こそ早めに行ってチケット入手に努力しようと早起きした。まずは午前中、これも今回のドイツ旅行で「したいこと」のひとつだったヘンネスのぬ いぐるみを買いに、シッピングモールへ出かける。そこで思いのほか時間を使ってしまい、慌ててケルン市内のHeumarktのPV会場へと向かう。そう、この日は日本代表の初戦、オーストラリア戦の日でもあったのだ。
 試合開始は午後3時。私がPV会場に着いたのは試合開始から少し経った頃で、着いたと同時に歓声が聞こえてきた。もしやと思ってスクリーンを見上げると、ジーコ監督が両手を天に突き上げ、叫んでいる。日本に先制点が入った直後だったのだ。
 その後、私は大勢のドイツ人、そしてスクリーンのすぐ前に座って見ていた少数の日本人サポーターたちとともに、しばらく試合を観戦していた。だが最後まで試合を見届けることはできなかった。午後6時からアメリカ対チェコ戦が始まるのだ。私は後ろ髪を引かれる思いでPV会場を後にした。大丈夫、あの試合展開だと日本はきっと1対0のまま逃げ切るだろう、心の中でそう自分に言い聞かせ、自国の大舞台を最後まで見届けようとしない罪悪感を紛らわそうとした。だが本当に、私はこのとき、日本が勝つと信じて疑わなかった。日本の出来は決してよくなかったが、こうしたグダグタな試合展開で、結局日本が逃げ切る展開を今まで何度も見てきたし、紛れもない日本の勝ちパターンだと思ったのだ。


ケルン・HeumarktのPV会場。青いユニフォームの日本人サポーターたちが前の方に固まって、体育座りしているのがお分かりいただけるだろうか。
西日が強くてとにかく暑く、上半身裸になっている人も。プレーする選手たちはどれほど過酷だったことか。

 ケルン中央駅に着いた私は、まずは駅構内の時刻表を確認した。ドイツに限らず欧州はどこでもたいていそうらしいが、日本のように、電車の発着ホームが決まっていない。なのでゲルゼンキルヘンへ行きたければ、そのつど電光掲示板やポスターで発車ホームはどこか、確認しなければならない。  この時間、ゲルゼンキルヘンへの直通電車はなかったので、ひとまずデュッセルドルフまで行き、そこで乗り換えることにした。今日は昨日のような失敗はすまいと、私は直前までホームに立って、その電車の行先を示す掲示板を睨みつけ、今度こそ間違いないと確認してから電車に乗った。
 その甲斐あって、今度は行き先を間違えなかった。電車は間違いなくデュッセルドルフへ向かって走っていた。だが―――恐ろしくのろい。ケルンからデュッセルドルフまで急行で15分ほどなのに、いつまでたっても到着しない。それに車窓の景色も、なんだか違う。のどかな田園風景ばかりが続いている。
 出発してから30分ほどたって、ようやく私は、各駅停車の電車に乗ってしまったと気付いた。決めては、電車の速度もさることながら、車内の温度だった。冷房がついておらず、むせ返るように暑い。ドイツでは急行以外の電車には冷房をつけないということに、私はそろそろ気付いていた。
 これでは、試合前にゲルゼンキルヘンに着けないかも…と焦ったが、どうしようもない。とりあえず、車窓の景色を楽しむことにした。各停なので電車のスピードも遅く、じっくり景色を眺められる。郊外を走っているからだろうか、どこの家にもたいてい家庭菜園があり、豊かな緑が目にまぶしかった。ここがもしイギリスならガーデニングが盛んなのだろうが、花を植えるのではなく野菜を植えるところにドイツらしさを感じる。そしてドイツらしさといえば、菜園には野菜だけでなく雑草も豊かに茂っているのが目にとまった。ということは、きっとあれらの野菜は無農薬栽培なのだろう。さすがドイツ、無農薬野菜の先進国…と感心しながら車窓を眺める。それにしても暑い。そして遅い。初めのうちは開き直って各停の旅を楽しもうと思っていた私も、さすがにちょっとイライラしてきた。各停電車に冷房をつけないのはエコロジー先進国ドイツならでは、と感心するような心の余裕は、もうすでになかった。
 (いつまでチンタラ走ってんねん!)と心の中で毒づきながら、時計を見る。ケルンを出てから1時間近く経とうとしている。なのに辺りは延々と田園風景が続き、デュッセルドルフに近づいている気配すらない。いくら各停とはいえ、ちょっとこれは遅すぎるんじゃないかと不安が募った。
  後から聞いた話では、どうやら私が乗ったのはいつもの、デュッセルドルフへの最短距離を走る線ではなく、延々と郊外を遠回りする線だったらしい。どうりで、いつもと違うのどかな景色が続くはずだ。


あまりにも電車の中で暇だったので、途中停車した見知らぬ 駅のホーム広告をパチリ。
若い男性のヌードを大胆に使ったこの広告は、旅行中、ドイツのあちこちの駅で見かけた。コピーの「Was ist mannlich?」はおそらく「男らしいってなぁに?」という意味。


  結局、ようやく電車がデュッセルドルフに着いたのは午後6時15分頃だった。もう試合は始まっている。しかもスタジアムに行くには、ここからさらに乗り換えてゲルゼンキルヘンに行かなくてはならない。「試合前にスタジアムについて、余っている人からチケットを買う」という私の目論みは、スタジアムに着く前に、はかなく散ってしまった。
 私はさすがに意気消沈したが、ここまで来て手ぶらで引き返すのも癪なので、日経に依頼されているレストラン取材の仕事を進めようと思い、デュッセルドルフ市街をぶらぶら歩いた。だがこれといって目ぼしい店は見つけられず、結局、ベルリン中央駅でも見かけたヨーグルトのインビス・チェーン店「bebidas」を取材する。地下鉄「Heinrich-Heine-Allee」駅構内にある店舗で、店員さんが「一番おすすめ」と言うフルーツカップを食べてみる。ドイツ特有のまろやかなヨーグルトの中に大粒のフルーツがゴロゴロ入っていて、なかなか食べ応えがある。しかし今の私には、結局一試合も生観戦できなかった無念とあいまって、なんだかほろ苦い味がした。
  やはり、「行ってしまえばなんとかなる」と、チケットなしでドイツに渡ったのは甘かったか。だがドイツに来たことそのものは、全く後悔していなかった。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、最初から「ダメでもともと」という気持ちでドイツに渡ったのだから。情けないのは、試合前のスタジアムでチケット獲得に挑戦するつもりが、そのスタジアムに辿りつくことすらできなかったことだ。挑戦する前に、終わってしまった。なんだか大事な試合に遅刻して、結局スタンドからその試合を見るはめになったサッカー選手のような惨めさだ…と、こんなときでもサッカーに例えてしまう自分を自嘲しながら、ヨーグルトを食べ終え、店長さんに礼を言って店を出た。

 心身ともに疲れてケルンに戻った私は、日本があの後、3点取られて逆転負けしたことをテレビで知ってさらに疲れた。本命だったアメリカ対チェコ戦は見れないわ、日本は負けるわで、ドイツに来て初めて落ち込むことの多い日だった。しかも明後日にはもうドイツを発たなければならない。こうして私の2006年ワールドカップは、結局一度も生観戦できずに終わったのだった。

ドイツの大衆紙「Bild」6月13日号に掲載された、日本対オーストラリア戦の記事。日本が先制ゴールを決めたシーンの写 真を使っているのが、かえってむなしい。


同じく「Bild」に掲載された両チームの選手の採点。5点満点で、数字が低いほど評価が高い。