長くなるので省略したけれど、正確には「行く」ではなく、「行って礼拝する」が正しい。そう、ただ観光目的で教会をふらっと訪れるのではなく、礼拝に参加したいのだ。もともと祖父がプロテスタントの牧師をしており、生まれたときから「日曜日は教会に行く」のが当たり前な環境の中で育った私は、ドイツ旅行中も、日本にいるときと同様に、聖日の礼拝を守りたいと思っていた。
 と書くと、なんだかずいぶん熱心なクリスチャンのように思われるかもしれない(笑)。だがそこは私のこと、「ドイツの教会って、どんな礼拝をするんだろ」という好奇心も大いにある。というか、好奇心の方が大きいかも。私にとってドイツは、ルターやボンフェッファーなど、尊敬すべき信仰の偉人を生んだキリスト教国としての憧れが強い。ルターもボンフェッファーも、共通 しているのは「権力に屈しない強じんな信仰と精神力」だろう。ルターは当時、絶大な権力を誇っていたローマ・カトリック教会に反抗して宗教改革を起こしたし、ボンヘッファーはナチスの支配する帝国教会に抵抗し、牧師でありながらヒトラーの暗殺計画に加わり、逮捕・処刑された。権力に屈せず、己の信仰を貫き通 す――という、私が抱いているドイツのキリスト教者のイメージは、この二人から来ているといえる。いわば、キリスト者にもゲルマン魂が流れているところに、惹かれるのだ。
 そんな訳で、ドイツの教会、それもプロテスタントの教会にぜひ行ってみたいと思っていた。それもできればルター派がいい。なぜって、私はルターのファンだから。…いやもちろんそんなミーハーな動機だけではなく、やはりドイツといえばルター派の本拠地って感じがするし。ルター派の教会(ルーテル教会)は日本にもたくさんあるけれど、一度ドイツの、本家本元のルター派の礼拝を体験しておきたいし…って、やっぱり発想がミーハーだなあ。
 ちなみに私が滞在するケルンはあの有名な大聖堂がある関係か、ドイツにおけるカトリックの中心地らしい。でも、ルーテル教会も探せばきっとあるはずだ。

 そうして「ドイツの教会に行く」夢に胸をときめかせる一方で、ドイツ語がさっぱり分からないくせに、ドイツ語の礼拝に出てどうすんの?というもう一つの声が、私の中でささやき始めた。ケルンや、ルール地方にも探せばきっと日本人教会はあるだろうし、本当にクリスチャンとして礼拝がしたいのなら、そっちに行くべきでないか。まったく分からない言葉で牧師の説教を聞いたところで、ちっとも心に響かない。単に「ドイツの教会で、ドイツ人に囲まれて礼拝した」という自己満足に浸りたいだけではないか。そんなんで、本当にクリスチャンといえるのか?
 ドイツへの出発日が近づくにつれ、私の中で、そんな声が次第に大きくなっていった。

 結局、「ドイツ人の教会に行くのか、それとも日本人教会に行くのか」の結論が出ないまま、私はドイツへと飛び立った。私がドイツに降り立ったのが6月5日。そして日曜日は、それから6日後の11日だった。ドイツに滞在する10日間のうち、日曜日はその日、たった一日だけ。それまでに、果 たしてどちらの教会に行くのか、結論を出しておかなければならない。
 一応、ケルンにもルーテル教会はあることは、ケルン在住のH氏に教えてもらった。アントニータ教会(Antoniter kirche)というその教会は、ケルンを代表するルーテル教会で、ケルン中央駅から歩いていける距離にあった。ケルンに来た翌日、教会の前まで歩いていって下見をしたときの印象は、「…地味やな」だった。カトリック教会のような壮麗さはなく、塔の上の小さな十字架を見つけなければ、倉庫と勘違いして通 り過ごしてしまいそうだ。だがそんな質実剛健な外観が、いかにも華美な装飾を廃したプロテスタントの教会らしい。
 果たして日曜日、この教会に来るべきなのか。それとも素直に日本人教会に行くべきなのか。日曜日までに結論を出さなければ…と自分に言い聞かせ、その場を離れた。 ―――はずなのに、その後、夢中でドイツ中を旅しているうちに、私はすっかりそのことを忘れてしまった。そしてはたと気づいたときには、もう明日が11日の日曜日だったのだ。
 なんという無計画さ、無責任さ。しかもその日の朝、私は前日の夜遊びがたたり、起きたときは既に9時半。言いわけすると、前日ドルトムントへ行ったはいいが、帰りの電車を乗り間違えてしまい、なんとか帰宅できたのが午前3時だったのだ。
 慌てて飛び起きて、ニールの駅から電車に乗ってケルン中央駅へ向かう。こうなったら、もはや選択の余地はない。アントニータ教会に行くしかない。だが焦っていたのか、事前に下見していたはずの教会がなかなか見つけられない。時刻が10時半を回るころ、ようやく教会にたどりつけた。プロテスタント教会の礼拝は、たいてい10時に始まる。そろそろ賛美歌を歌い終わって、牧師のメッセージが始まった頃かな…と思いつつ、開放されているドアからそうっと中に入ってみた。
 誰もいない。いやよく見ると、最前列の席に女性が一人、座っていた。だが一人だけである。牧師先生も、オルガン奏楽者もいない。
 たった30分で礼拝が終わる訳がない。もしかしたら開始時刻を間違えたのかもと、私はドアのすぐ近くに置いてあった教会の週報らしき冊子を手に取った。日本の教会における「週報」とは比べ物にならない立派な冊子で、「パンフレット」といった方が正しい。タイトルも「antoniter CityNews」となっており、この教会のことだけでなく、ケルンにおけるプロテスタント教会の情報を集めた情報誌的な読み物のようだ。

antoniter CityNewsと題された、アントニータ教会のパンフレット。イベント情報のほか、教会が出しているCDの紹介ページなどもあり、精力的に活動している教会であることが分かる。

アントニータ教会のサイト
http://www.antonitercitykirche.de/


 教会パンフの隣には、「Fair play : Fair life」と題されたパンフレットが三種類、置かれていた。どれも、表紙には大きくサッカーボールがデザインされている。「WM2006 in NRW」と右上に書かれていることから見て、開催中のWMに関連したパンフらしい。WM関連のパンフは駅や案内所で何冊も見たが、これを見るのは初めてだ。ということは、どうやらこれらのパンフはキリスト教とWMが結びついたものらしい。それらがどういった目的のものなのかは、パンフを読んでも分からなかったが、「さすがドイツ」と妙に感心したことは確かだ。キリスト教とサッカーが、なんの違和感なく手を結べるのだから。


 私がそれらのパンフを手に取って眺めている間も、教会内はがらんとしており、いっこうに信者が集まってくる様子も、牧師が現れる気配もない。入ってくるのは数人の観光客だけで、興味深げに教会内をきょろきょろ見回しただけで、またすぐ出ていってしまう。私は真剣に不安になってきた。さっき見た教会パンフのどこかに、今日の礼拝の開始時刻が載っていないかとパラパラめくってみるが、どこにもそれらしい記述はない。―――ああ、またこのパターンだ。どうしていつも行き当たりばったりで、事前に綿密な計画を立てて行動しないんだろう。ちゃんと礼拝を守りたいなら、事前にこの教会の礼拝時刻を調べておくべきだったのだ。結局、ドイツ人教会の礼拝にも、それとも日本人教会の礼拝にも出席できなかった。すべては私のだらしない性格にある。

 私は無念さを噛みしめつつ、せめてもの収穫にと、受付に置かれていたパンフ類をかばんに入れて、教会を出た。次にドイツに来たときは、ぜったい、聖日の礼拝を守ってみせるさ。
 ―――でも、どの教会で?と、またもや渡独前に悩んでいた問題が頭をかすめる。だが今度は、答えはすぐに導き出された。次にドイツに来るまでに、ドイツ語をマスターして、ドイツ人のルーテル教会に行くんだ、と。そうすれば説教の内容も分かるし、ドイツ人教会の雰囲気も味わえるしで、万事解決だ。
 ドイツ語はおろか、英語すらまともに喋れないくせに(笑)。どうやら根っから楽観的で、反省しない性格のようである。

「Fair play : Fair life」パンフレットその1。
このイベントの主旨と、公式グッズの紹介などが掲載されている。
上のパンフレットをドイツ語以外の言語に訳したものらしく、アラビア語やロシア語らしき文字が並ぶ。
「Fair play : Fair life」パンフレットその3は、サッカーボールリスト。 どうやら、戦争や貧困に苦しんでいる国々とボールのフェアトレードを行って、それらの国を救おう、という企画らしい。
公式サイト

※このとき失敗した「教会に行く」プロジェクトは、5年後に達成された。
「教会に行く・5年ごしのリベンジ編〈1〉」