駅を降りたらすぐ、目の前に桜島がどーんとそびえる鹿児島ならではの風景が広がると思っていた私のあては、大いなるハズレだった。駅前には高層ビルが立ち並び、桜島はビルに隠れて全く見えない。鹿児島は思っていたよりずっと都会だった。今年3月、いよいよ九州新幹線鹿児島ルートが開通 するのに合わせ、駅ビルとその周辺は大掛かりな工事の真っ最中。当たり前だが、幕末、西郷や大久保が活躍していた頃の鹿児島の面 影は、もうそこにはなかった。

鹿児島に着いて真っ先に訪れたのは、やっぱり大久保の銅像。駅からすぐ近く、甲突川のたもとに颯爽とそびえていた。没後100年を記念して、1979年に建てられたという。でも建てる前には地元から反対運動が起きたり、寄付金がなかなか集まらなかったりと、かなり苦労したとか。そういう噂を聞くと、「大久保をもっとも嫌っている地域は、実は彼の郷里の鹿児島である」という噂は本当なのかなぁ…と、切なくなる。銅像が建てられた時期も、西郷よりずっと遅いし(西郷の銅像は1937年)。

大久保像から甲突川沿いに少し歩くと、明治維新ミュージアム「維新ふるさと館」に突き当たる。だから観光客の絶好の散策コースなのだけど、銅像前で立ち止まって、しげしげと見上げて写 真を撮っているのは私ひとり。観光客風のいでたちの人も何人かいたけれど、みんな大久保像には見向きもしないで、「維新ふるさと館」へ直行していく。おいおい、近代日本を築いた功労者なのに、少しは興味を示さんかい!と、思わず大阪弁で絡みそうになった(ウソ)。 >>続く

甲突川のたもとに そびえ立つ
大久保利通像。
 

 

映画「ラストサムライ」がヒットしている。それもただヒットしているだけでなく、すこぶる評判がいい。当編集部でも「ラストサムライ見た?」「絶対見た方がいいよ」という会話が飛び交い、ふと気付けば、この映画を見ていないのは編集部で私ひとりとなっていた。
なので、ここでは映画「ラストサムライ」そのものについて語ることはできない。そういうのは映画評論家に任せておいて、ここではあの映画のモデルになった人物と、その人物を“死に追いやった"といわれている人物について、ちょっと語ってみようと思う。
「うそ、モデルなんていたの?」と驚く読者もいるかもしれない。だがちょっと日本史、特に幕末維新史をかじった者なら、渡辺謙演じる主人公のモデルが西郷隆盛であり、彼が指揮した日本最後の内戦「西南戦争」を背景にしていることは、すぐに見抜いてしまうのだそうだ。
そしてそのことが、周りにどんなに勧められようと、私があの映画をあまり見る気がしない要因だったりもする。だって主役のモデルが西郷だとすると、その敵役のモデルはやっぱり大久保?あーあ、また悪役にされるのか…と、憂うつになってしまうのだ。(実際、映画に出てくる敵役のモデルは大久保らしいし)
そう、大久保利通。西郷隆盛、木戸孝允らと共に「維新の三傑」といわれた人で、維新の功労者なのはもちろん、明治新政府のリーダーとして富国強兵、殖産興業にまい進し、近代国家日本の基礎を築き上げた。が、そうした業績よりも、「盟友・西郷を裏切り、ついには死に追いやった冷血漢」「明治政府の独裁者」など、悪役のイメージの方がずっと強い不憫な人でもある。
だから西郷に比べて人気も知名度も圧倒的に低い。まあでも、仕方ないか。普通 に生きていれば、大久保ファンになる事ってかなり難しいし。 ドラマや映画じゃほとんど取り上げないし、取り上げても端役か悪役と相場は決まっている。
学校の教科書でもそうだ。今はどうか知らないが、私の中学・高校の歴史授業では、「独裁者・大久保の恐怖政治に対抗して自由民権運動が起こった。だから板垣退助がヒーローで大久保は悪者」みたいな教え方がされていたように思う。だがひねくれ者の私は、大久保のそうした悪役ぶりにかえって惹かれ、関連書籍を読むうちに、そんなに単純に悪役と決めつけられるような人ではない、むしろ国民の不人気を承知で数々の改革を断行し、日本を近代化に導いた偉大な政治家なのでは、と思うようになった。いつか、大久保が生まれ育った鹿児島に行ってみたい。そう思い続けて幾星霜。ようやく今年の年末年始に、鹿児島に旅行する幸運に恵まれた。