試合後、記念撮影をする「13 Ballack」を着た4人組。左から金色のバイエルンユニ、チェルシーユニ、赤い代表ユニ、白い代表ユニ。

駐車場に停まっていたケムニッツァーFCのクラブバス確かにスタンドにはケムニッツ組が大勢いたが、観光バスではなくクラブバスで来たところが凄い

試合翌日の地元紙LEIPZIGER VOLKSZEITUNG。遠方からやってきた熱心なファンを紹介している。


 観客も選手も、同じ時代を生きた者たちが集ったスタジアムはまるで巨大な同窓会のようで、あたたかい雰囲気で満ちていた。何度もウェーブがスタンドを一周した。だが先にも書いたように、応援をリードするサポーター集団がいないため、拍手や歓声は起こっても、一つのまとまった応援コールは、試合中はついぞ起こらなかった。真剣勝負の試合ではないから、ということもあっただろう。選手達も敵味方関係なく和気あいあいとプレーしていたし、そんなに必死に、声を張り上げて応援するような雰囲気ではなかったのだ。

 だがそんな和やかムードで進行していた試合も終わり、ピッチにはバラックひとりが残った。「僕は泣かないように決めている」とバラックは言ったが、4万4千人から大喝采を受け、涙につまって後の言葉が続かなくなった。そのとき、この試合で初めて大きな「ミヒャエルバラック!」コールが起こった。あれはまさに、スタジアムにいる者全ての心が一つになった瞬間だった。

  ーーなんだ、みんなリードする人がいない応援スタイルに慣れてないから今までコールできなかっただけで、ほんとは大声で「ミヒャエルバラック!」と叫びたかったんだ。そう思ったのはその後、せきを切ったかのように、スタジアムからの帰り道でバラックコールが次々に起きていたからだった。もっとも印象に残ったのは、帰り道の終盤、ライプチヒ中央駅前でのこと。もう周りにスタジアムからの帰り客もほとんどいなくなっていたが、私の前を歩いていたおじさんが突然、「ミヒャエルバラック!」と小さく叫んだ。それはかすかな声ではあったが、それまで静かに歩いていたおじさんの突然のコールに、私は驚き、胸を打たれた。(そしてその直後、彼は隣の奥さんに「もう深夜なんだから」と軽くたしなめられていた)
 きっと今夜の試合を振り返り、バラックのこれまでのキャリアを振り返っているうちに感極まって、突然その名をコールしたくなったのだろう。
 バラックはそういう選手だ。幾度となく国際タイトルに迫りながら、幾度となく二位 に終わった切なさが、かえってファンの胸に「心残り」という名の強い印象を残す。記録ではなく記憶に残る選手とは、まさに彼のような選手のことを言うのだと思う。
 私にしたって、もしバラックがサクッと国際タイトルの一つでも獲ってくれてれば、こんな風にその最後を見届けにはるばるドイツまで行かなかったはず。(……たぶん)
 発売からわずか一日足らずで4万3千枚のチケットが完売したのも、バラックの人気の高さやチケットの値段の安さなどもあるだろうが、「最後はハッピーエンドで送り出したい」という、ある意味親心のような願いもあったのではないだろうか。
 そして、その願いはかなえられた。

  最後に、引退試合を報じたSPIEGEL ONLINEの記者の言葉を引用して、観戦記の第一部を締めくくりたい。


   それはバラックの素晴らしいフィナーレだった。
   彼は最後の試合で勝者となったのだ。二位ではなく。
                   ( Peter Ahrens )



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ケムニッツから来た少年(たぶん)。バラックが今年1月、ケムニッツに凱旋した時のユニを着て売店に並んでいた。

キックオフ直前、屈伸運動をするバラックをオーロラビジョンが映し出す。