フリーキックのチャンスを迎えたアイルランド。
ドイツGKオリバー・カーンが、自軍の選手に壁の指示を送る。

 後半が始まり、残り時間が少なくなるにつれて必死さをむき出しにしたアイルランドが、幾度となくドイツゴールに迫ってははじき返されるのを見て、思わず「あーあ…」とため息をついた時、初めて自分が、いつしかすっかりアイルランドに感情移入してしまっていることに気づいた。そしてもうこの試合ドイツが勝たなくてもいいや、それよりアイルランドに一点取らせてやりたい、そして一対一の引分けで終わって欲しいと願うようになっていた。

 どうせドイツはこの試合引分けでも、前の試合、サウジアラビアに8対0の大差で勝ったことが効いて、決勝トーナメント進出が俄然有利なことは間違いないし。だから懸命に攻め続けるアイルランドのためにも、そして周りで声を枯らして応援しているサポーターのためにも、一点取ってほしいとひたすら願った。
  ドイツユニは、試合が始まる前に既に脱いでしまっていた。自分の席が完全にアイルランド側で、周囲が着々とアイルランドサポで埋まっていくのを見て、さすがにまずいと思ったのだ。気のいいアイリッシュのことだから、ドイツユニを来ている者を見ても、本気で怒ってからんでくるようなことはないだろうとは思う。が、周囲がアイルランド応援で一体になっているのに、その中で一人だけドイツユニを着ているのは、さすがにちょっと非常識なような気がしたのだ。
 でもそうやって、周囲の雰囲気に気遣って、というか正確にはビビって、試合前にドイツユニを脱いでおいて正解だった。試合前は「アイルランドサポのど真ん中だけど、私は心の中でドイツを応援しよう」と強く思っていたにもかかわらず、試合が進むにつれてすっかりアイルランド派になっていたのだから。本当に、意志薄弱というか、周囲の雰囲気に流されやすい性格だと自分でも思う。が、それだけアイルランドのサッカーに、人の心を打つ何かがあったということだと、自分では思っている。もちろん、サポーターの応援が素晴らしかったというのも大きな理由ではあるが。
 ――――とまあ、すっかりにわかアイルランドサポになってしまった私だが、だからといって決してドイツのサッカーがつまらなかった、という訳ではない。それどころか、サッカーの伝統国らしい実に堂々とした戦いぶりに、改めて惚れ直した。この試合が、グループリーグ屈指の名試合としてサッカーファンの心に強く刻みつけられているのは、アイルランドの驚異の粘りが感動を呼んだのが大きな理由だと思うし、私もそのことに異論はない。ドイツファンとしては少々複雑な心境だが、この試合の主役はやはり、最後の最後に追いついたアイルランドであり、また最後までチームを信じて応援し続けたアイルランドサポだったと思う。
 が、その「主役」アイルランドが輝いてみえたのも、ドイツという、実力、知名度とも申し分の無い「敵役」がいたからこそ、だと思う。過去のW杯での戦績はもちろん、選手のガタイの大きさ、知名度など、全てにおいてドイツはアイルランドを大きく上回っており、アイルランドを応援する者から見れば、さぞかし憎たらしい大きな「壁」に思えただろう。まさに「敵役」にはうってつけだった。そしてサッカーに限らずどんなスポーツでもそうだが、最高のドラマを演出するには、魅力的な敵役の存在が欠かせない。

 ドイツの戦いは実に見事だった。試合後、サッカー評論家などには「一点取ったあと、その一点を守ろうと守備的になりすぎて、やや消極的な試合運びをしたのが最後に追いつかれた原因」とも批判された。が、点を取った後に守備を固めたのは確かだが、勝負にこだわる以上、あれは正しい戦術だったと思う。それに守備的な試合運びがつまらないなんて、そんなことは絶対にない。前半19分にクローゼのヘッドで先制し、以後、いかにもドイツらしい統制のとれた守備でアイルランドの攻撃をはね返す様は、見ていて惚れ惚れした。GKカーンの安定感あふれるセービングは言うにおよばず、それぞれの選手が生真面 目に自分の役割をきっちり果たすさまは、まさに組織サッカーの神髄ここにあり、という感じで見事だった。
  なんせ前の試合でハットトリックを達成し、今日も1ゴールをあげたFWクローゼまでが、点を取ってからはサイドに下がって守備に専念していたのだから恐れ入る。前の試合で8対0と大勝したことで、「さすがのドイツも気が緩んでいるのでは」という予想もあったが、そんな予想をまんまと覆して、実に慎重な、油断もスキもない試合ぶりを見せてくれた。


私の隣で、ほとんど立ちっぱなしで熱い応援を送っていた妖精姿のお兄ちゃんたち。
同点ゴールが決まった時、熱狂のあまり私の背中をバシバシどついてきたのも
この人たちだ。 こけそうになったやないけ!

 そこらへんがまた、「ドイツのサッカーは面白みにかける」と言われる所以でもあるのだが。が、私自身はちっともドイツのサッカーはつまらないと思わないし、MFのバラックやシュナイダーの動きを追っているだけで楽しかった。つい先日のチャンピオンズリーグでも大活躍したレバークーゼン所属のこの二人は、代表チームでも好調で、フィールドを縦横無尽に駆け回っていた。
  特に私が一番期待し、早く生でそのプレーを見たいと思っていたバラックの、クローゼの先制点をアシストした絶妙クロスを目の前で見た時は興奮した。その瞬間、周りをアイルランドサポに囲まれているということも忘れて、思わず「よっしゃあ!」とガッツポーズをしそうになったほどだ(笑)。さすが、小皇帝と呼ばれるだけのことはある。あのクロスを生で見れたというだけでも、関西からはるばる遠征して来た甲斐があった…というのはちと大げさか。


隣の席のおじさんと、アイルランド国旗を広げて記念撮影。

私が実はドイツファンだということは、おじさんには内緒デス。

  が、バラックのような活気と創造性に満ちたプレーヤーを抱えながらも、チーム全体としてはきっちり統制が取れていて、どれだけ攻め込まれようが決して浮き足立たない。それがドイツの強さだろう。
  特に後半、アイルランドがなんとかゴールを割ろうと果敢に攻撃を仕掛けてきても、憎たらしいほどの落ち着きっぷりで守りきり、90分間ゴールを割らせなかった。
  だからこそ、92分、後半ロスタイムについにゴールを割られたことが、大きな衝撃と感動を呼び起こしたのだろう。そのことを思うと、ついさっき「この試合の主役はアイルランドで、ドイツは敵役」と書いた私だが、やはりドイツもこの試合のもう一方の主役だったのだと思う。

⇒続く