※日記じゃないです。念のため。

 

2011.11.28.MON
ブログに移行します。

ブログのタイトルもやっぱり「still crazy」
http://still-crazy.jugem.jp/

もちろん私のことなので、ブログに移行したところで更新が増えるかというと全くそんなことはないと思うのですが(汗)
なるべくこのページと同じ雰囲気にカスタマイズしました。 シンブルイズベスト。

あ、移行するのはこの「ひとりごと」のページだけです。 サイトは続けます。もちろん。
今、使ってるレンタルサーバーが来年5月でサービス終了するので、また別のサーバーを借りなきゃならず、アドレスも変わりますが。
今後ともよろしくお願いしまーす。

2011.7.9.SAT
サッカーは続く。(ミヒャエル・バラックの代表引退に寄せて)

2010年5月15日。
 リアルタイムで試合を見ていたわけではない。だからバラックが相手選手に削られたシーンも見ていない。それでもネットで「バラック負傷」のニュースを知った瞬間、最悪の予感が全身を突き抜けた。
「怪我の状態は精密検査を待たないと分からないが、三週間後に迫っているワールドカップ出場に危険信号がともる」と、その記事は伝えていた。だがそのときすでに私は、ワールドカップ出場は絶望的だと感じていた。なぜって、それがバラックだから。そんな風にファンに思わせてしまうサッカー人生だったんだから悲しいね。ワールドカップ欠場が確定したときも、真っ先に出てきた感想は「バラックらしい」。最後のワールドカップ、今度こそ悲願の国際タイトルを……と燃えていた矢先に、試合中の怪我で全てが崩壊してしまう。――なんかもう、あまりにもバラックらしすぎて。

 ワールドカップ欠場が確定した翌日、バラックのコメントがメディアに発表された。
「もちろん苛立っているし、がっかりもしている。でもフットボールでは一度、起こってしまったことを蒸し返すべきじゃない」
「前を向くようにしているよ。自分にとってのフットボールは、今まで通り大きな楽しみさ。この怪我が、ユーロ2012に向けての完全なモチベーションになるだろう」
  バラックらしい、前向きなコメントである。代表キャンプを離脱するときも、彼はチームメイトたちに「俺の怪我のことはすぐ忘れて、前を向け。このチームは強い。誰が選ばれよう が、誰がプレーしようがだ。お前らなら絶対に、いいワールドカップにできるし、成功を収められる」との言葉を残している。
 彼はこれまでいつもそうだった。2006年ワールドカップ、延長で立て続けにゴールを決められて負けたイタリア戦。あふれる涙をぬ ぐおうともせずに、唇を噛みしめてまっすぐ前を向いていた、あの横顔こそがバラックの真骨頂だ。夢を断たれた直後でも、決して下を向くことはない。
 そんな彼の姿勢を「精神力が強い」からだととらえることもできるだろう。だが私はそれだけではないと感じる。 いつもまっすぐ胸を張って入場してくる、あの姿勢そのままに、バラックはとても誇り高く負けず嫌いだ。落ち込んでいる様子を人に見せたくはないのだろう。
  それにあまりにも大きくて圧倒的な絶望、すべてが崩れ落ちてしまうほどの絶望を前にしたとき、それでも人は前を向いて進むしかない。それしか選択肢はないのだ。さもなければ運命を呪い、うちひしがれて惨めに死を待つだけ。だからほとんどの人は前を向いて乗り越えていく。誇り高いバラックは、その「前を向くまでの時間」が、他の人より早いのだろう。

 そして始まったワールドカップ。大会前には、「なんという悲劇だ。バラック抜きで戦わなくてはならないとは」と書き立てたドイツメディアは、約一ヶ月後には「バラックの怪我はドイツにとって神の恵みだった」と書き立てた。バラック抜きの代表チームが、低迷するどころか、溌剌としたサッカーで躍進する。ドイツ中を震撼させた「悲劇」は一転して「神の恵み」に変わり、バラック不要論が主流となって吹き荒れる。バラックにとっては悲劇だが、関係ない人間からすれば、そのあまりにも極端な論調の変わりように、おかしさすら感じる。すでにドイツでは、あの一連の騒動は笑い話になってるんじゃないだろうか。
 だがバラック欠場が結果的には「吉」と出ることは、以前から予想できたことでもあった。バラックという男の巡り合わせの悪さをこれまでさんざん体験してきた私は、バラック欠場が決まった時、ついにドイツが優勝するのではと思ったほどだ。
 それに2010年以前にも、バラック不要論はささやかれていた。有望な若手が次々に台頭し、「バラックは代表に必要だと思いますか?」というアンケートが新聞サイトで行われた。すでにバラックは代表で、以前のような絶対的な存在ではなくなっていた。そのことを本人も当然、感じていただろう。ワールドカップ予選では若手を活かすようなプレーで、黒子となって走り回った。そしてメディアに「やはりバラックは必要」と言わしめた。そんな中での怪我だったから、これを「世代交代の良いチャンス」ととらえる向きもあった。そして、その通 りになった。


2011年6月16日。
 昨年5月15日の怪我以降、滑り続けていたバラックの運命に判決が下った。「もう代表チームの一員ではない」というDFBからの一方的な引退発表。8月のブラジル戦を「引退試合」にして、表向きは円満に代表引退を、というDFBの提案をバラックは「茶番だ」と一蹴した。満員のスタジアム、観客全員のスタンディングオベーションで見送られる華々しい引退ではなく、DFBと代表監督に言いたいことを言って、喧嘩別 れする道をバラックは選んだ。その記事を読んだとき、真っ先に出てきた感想は、これまた「バラックらしい」。相手が誰であろうと、おかしいと感じたらはっきり指摘するのがこの男だ。そのおかげで若い頃から「傲慢」と言われ、チームで浮いた存在になったり、余計な騒動を起こしたりしてきた。バイエルン時代も、練習中に理不尽なことがあると、キャプテンのカーンにも食ってかかった。きっと、根っから真面 目なのだろうと思う。そんな熱血正義漢ぶりは、最後まで変わらなかった。まさに、バラックらしい代表キャリアの締めくくり方だった。
 そして代表キャリアがひとまず終わったとしても、バラックのサッカーはまだ続いている。

2011.1.20.THU
「ブルース・ブラザース」雑感

 昨年末、パソコンをPower Mac G4からG5(中古)に買い替えた。といってももう5年前の機種だが、たいして重い作業をしない私にはこれで充分。だったらもっと小さくて速いMac(Mac miniとか)があるじゃんと言われそうだが、「保険」としてやっぱりクラシック環境は残しておきたかったので。

 さてMacをG5に変えたことで、ようやく家でDVDが見られるようになった(以前の機種にはDVDプレーヤーがなかったのだ)。最初に購入したソフトは「ブルース・ブラザース(以下BB)」。こちらはG5より遥かに古い、もう30年前の映画だが、今見てもまったく古びていない。きっと、主役のジョン・ベルーシとダン・アイクロイド(※1)の個性が、時の試練を軽く超える「オリジナル」だからだろう。特に今回、印象に残ったのはアイクロイドだ。「ベルーシの引き立て役」「ベルーシに比べて地味」なんて評価をたまに聞くが、とんでもない。ずっとサングラスをかけていて目の表情は分からない上、徹底したポーカーフェイス。だからこそ、口元で微妙な表情を演じ分けて、「魅せて」くれる。後年の、どちらかというとオーバーアクトな彼の演技を見慣れた目にはとても新鮮で、「あー、ダニー(※2)って元々はこういう役者だったんだなあ」と、妙に懐かしくなったりもした。
 アカデミー助演賞候補になった「ドライビング・ミス・デイジー(※3)」も抑えた演技で良かったが、あれは映画も、ダニーの役柄もシリアスだったし。「抑えたコメディ演技」といえば、このBBと、ぎりぎり「ドラグネット」くらいじゃないだろうか。
 相棒のベルーシにしたって、ずっとグラサンフェイスだからこそ、あのユニークな輪郭と、存在感がますます際立っている。(まさに生まれながらのコメディアンの輪郭。私がそう思えるのはベルーシとボブ・ホープだけだ)。
  とにかくこの映画の二人に関しては、どちらが引き立て役だとかサポート役だとかは関係ない。互いが互いを引き立て合い、支え合っている。人気コメディアン二人の共演だから、もっと「食うか食われるか」みたいな緊張感があっても良さそうなものだが、それがない。きっとリアルでも、まるで兄弟のような親友同士だったから、だろうか。二人のリアルでの関係が、映画にも良い方向で反映されている。見ていて実に楽しい。と同時に、ほろ苦い感傷がこみ上げてくるのを抑えきれない。約25年前に初めて見たとき、それは夭逝したベルーシへの、悔しさ混じりの感傷だった。だが今はそれ以上に、ダニーに対して悔しさを感じる。それはきっと、彼の「その後」を知っているからだろう。いわく「なんでこのキャラを継承しなかったんだよ、もったいない」と。

 キャラといっても、別にエルウッド役を続けろとか、ずっとグラサンかけて演技しろとかいう意味ではない。この映画でダニーが見せた、クールでダンディーなカッコ良さと、トボけた雰囲気の絶妙なミックス。どことなく往年の名優バスター・キートン(※4)を彷彿とさせるが、キートンよりずっと長身のダニーには、長い足を生かしたステップやアクションにダイナミックなおかしさがある。それはこの時期のダニーにしか出せないもので、この後もこの芸風を続けていれば、キートンに迫る「現代の喜劇王」になれたんじゃないだろうか。だがこの映画でダニーが見せた独特の「渋トボ感(渋い+トボケた雰囲気)」は、二度と彼によって再現されることはなかった。

 それはやはり、相棒のベルーシを失ったからだろうか。それとも、みるみるデブっていったからだろうか。三年後の「トワイライトゾーン」では見事な二重アゴになっていて、「アンタ誰」って感じだったが。いやベルーシの葬儀の時点で、すでにエルウッドの面 影ゼロだったが。だが当時はそんなことはどうでもよかった。そもそも私が初めてダニーに惹かれたのは、皮肉にも「ベルーシの死」がきっかけだった。ベルーシに対して批判的な意見もある中、「アイクロイドはいつもベルーシをかばっていた」という記事を読んで感動。メディアの上では名コンビでも、「実生活では無関心・もしくは不仲」なコンビが多い中、この二人は本当に親友だったんだな。私はこうした友情モノに弱い。かくして、彼の映画をまだ一作も見ないうちから、ダニーはお気に入りの俳優の一人となった。
 その後、「大逆転」「ゴーストバスターズ(以下GB)」と、順調にヒット作に出演した時は嬉しかった。BBを初めてテレビで見たのも、たぶんこの頃。作品ごとに顔が違って見えて、不思議な役者さんだなあと思ったことを覚えている。その頃はファンのひいき目もあり、役作りのために、あえて顔をふっくらさせていると思っていたのだ。デ・ニーロのように。
 実際、GBの翌年に参加した「ウィ・アー・ザ・ワールド」では、元のすっきりした顎のラインに戻っており、「カッコいいダニーが帰ってきた」と喜んだものだった。だがそれも束の間、次の映画ではまたダブついた顎に(泣)。そしてそれ以降、二度と元のシュッとした顎に戻ることはなかった。
(※ここからオタトーク全開になるので、先に進まれる方は注意)
 さっきからアゴアゴとしつこいが、私はあのすっきりした顎のライン、もとい細面 の輪郭こそが、ダニーのビジュアルの生命線だと思っている。存在感抜群の眉や縦割れした鼻、ぽってりした唇など、顔の個々のパーツは結構クドい。それを少年のような卵形の輪郭(欧米人にしては珍しく、顎が割れていない)が絶妙のバランスで包んでいたからこそ、20代の彼は魅力的ないい男に見えた。それが30代になってみるみる太り、二重アゴになって輪郭が崩れたら、そりゃたちまちクドいおっさん顔になるって。
 それでもGBでも「スパイ・ライク・アス」でも、太ったら太ったなりに、独特のトボけた可愛さがあるのはさすがダニーだ(ひいき目)。そういうキャラも演じつつ、BBのようなダンディーなキャラも演じてほしい。せっかく長身で小顔(元は小顔のはずなのだ)なんだから!……というファンの願いも空しく、その後も彼はデブり続けた。やはり肥えると、どうしても役柄が限定される。クールな役は似合わないし、回ってこない。GBが世界的に大ヒットしたことも、その後、彼が似たような役ばかり演じるようになった一因かと思う。いわく、真面 目で善良で、だまされやすいボケ役の小デブ。……小デブって(泣)。
  ビル・マーレーら、他のコメディアンたちとの「アンサンブル」を楽しむGBでは、ダニーのそういう役も活きていた。だが他の映画でも似たような役が多いと、「なーにいい子ちゃんぶってんだよ」と毒づきたくなってくる。アンタ元々はそんなキャラちゃうやろと。もっとこう、彼の「素」をいかしたワルっぽいキャラや、一見好感度高め、だが実はシニカルで毒舌なキャラが、ダニーの得意分野ではなかったか。いや元々、そうした「得意キャラ」に縛られない役柄の多彩 さが、彼の魅力ではなかったか。若き日の「サタデー・ナイト・ライブ(以下SNL)」時代には、その役柄の多彩 さから「千の顔を持つ男」と言われたそうだが、太ってからはどの映画でも同じキャラに見える。
 SNL といえば、同番組で共演していたマーレーやスティーヴ・マーティンは、その後もずっと体型を維持している。彼らはああ見えて、きっと陰で努力しているんだろう。見た目が見苦しいという以前に、ダニーの、役者としてのプロ意識に疑問を感じ始めた私は、いつしか彼の映画を見なくなった。情報すら追わなかったから、「BB2000」が作られたことも知らなかった。でもちっとも惜しいとも、見たいとも思わないのが空しい。

 今、Macの買い替えを機に久しぶりにBBを見、「ベスト・オブ・ダン・エイクロイド(SNL傑作選)」などを見ると、なんともいえない感傷がこみ上げると共に、「この頃の姿を、映画として残しておけて良かった」と、心からホッとしたりもする。それも世界中にファンがいる、もはや古典のカルトムービーとして。音楽とコメディとカーアクションが融合した「奇跡の映画」なんて言われてたりもするが、この映画の最大の奇跡は、実はダン・アイクロイドだったのではないか。と、その後の彼を知っている「今」になって、そう思う。情熱とハングリー精神とスリムな容姿(!)が揃っていた、若い頃だけの一瞬のきらめき。これが、ベルーシなら――もしこの映画の後に生き続けたとしても、ずっと「ベルーシ」であり続けただろう。だがダニーはそうではなかった。相棒に先立たれた「片割れ」は、生き残るためには芸風を変えざるを得なかったのか。だがまだまだ男盛りの50代で、ほとんど芸能界から引退状態になってしまった彼の現状を見ると、その選択は果 たして正しかったのか、どうか。

 

※1  今では「ダン・エイクロイド」表記が一般的だが、やっぱり私には80年代初頭の「アイクロイド」表記の方が馴染む。実際の発音も「アイクロイド」と聞こえるし。

※2  ダンの愛称。

※3  「デブロイド」時代にあって、私が唯一「いいな」と思った作品。最初、ダニーが出ているとは知らずに鑑賞し、途中で「この俳優ダニーに似てるな。でも彼がこんな映画に出る訳ないし」と即座に打ち消した。だからエンドクレジットでダニーの名を見たときには驚いたし、嬉しかった。

※4 ボブ・ホープとかバスター・キートンとか、いかにもリアルタイムで彼らを見てきたように書いているが、もちろんずっと後になってからビデオで見ただけ。昔のコメディ映画が好きで、特にクロスビー&ホープの「アラスカ珍道中」がお気に入り。BBのメイキングビデオで、メイク係のおじいさんがベルーシ&アイクロイドを「クロスビー&ホープのような名コンビ」と言ってくれたのは、さすがじーさん、例えがふるっ!と思いつつも嬉しかった。

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