「ブルース・ブラザース」雑感

 昨年末、パソコンをPower Mac G4からG5(中古)に買い替えた。といってももう5年前の機種だが、たいして重い作業をしない私にはこれで充分。だったらもっと小さくて速いMac(Mac miniとか)があるじゃんと言われそうだが、「保険」としてやっぱりクラシック環境は残しておきたかったので。

 さてMacをG5に変えたことで、ようやく家でDVDが見られるようになった(以前の機種にはDVDプレーヤーがなかったのだ)。最初に購入したソフトは「ブルース・ブラザース(以下BB)」。こちらはG5より遥かに古い、もう30年前の映画だが、今見てもまったく古びていない。きっと、主役のジョン・ベルーシとダン・アイクロイド(※1)の個性が、時の試練を軽く超える「オリジナル」だからだろう。特に今回、印象に残ったのはアイクロイドだ。「ベルーシの引き立て役」「ベルーシに比べて地味」なんて評価をたまに聞くが、とんでもない。ずっとサングラスをかけていて目の表情は分からない上、徹底したポーカーフェイス。だからこそ、口元で微妙な表情を演じ分けて、「魅せて」くれる。後年の、どちらかというとオーバーアクトな彼の演技を見慣れた目にはとても新鮮で、「あー、ダニー(※2)って元々はこういう役者だったんだなあ」と、妙に懐かしくなったりもした。
 アカデミー助演賞候補になった「ドライビング・ミス・デイジー(※3)」も抑えた演技で良かったが、あれは映画も、ダニーの役柄もシリアスだったし。「抑えたコメディ演技」といえば、このBBと、ぎりぎり「ドラグネット」くらいじゃないだろうか。
 相棒のベルーシにしたって、ずっとグラサンフェイスだからこそ、あのユニークな輪郭と、存在感がますます際立っている。(まさに生まれながらのコメディアンの輪郭。私がそう思えるのはベルーシとボブ・ホープだけだ)。
 とにかくこの映画の二人に関しては、どちらが引き立て役だとかサポート役だとかは関係ない。互いが互いを引き立て合い、支え合っている。人気コメディアン二人の共演だから、もっと「食うか食われるか」みたいな緊張感があっても良さそうなものだが、それがない。きっとリアルでも、まるで兄弟のような親友同士だったから、だろうか。二人のリアルでの関係が、映画にも良い方向で反映されている。見ていて実に楽しい。と同時に、ほろ苦い感傷がこみ上げてくるのを抑えきれない。約25年前に初めて見たとき、それは夭逝したベルーシへの、悔しさ混じりの感傷だった。だが今はそれ以上に、ダニーに対して悔しさを感じる。それはきっと、彼の「その後」を知っているからだろう。いわく「なんでこのキャラを継承しなかったんだよ、もったいない」と。

 キャラといっても、別にエルウッド役を続けろとか、ずっとグラサンかけて演技しろとかいう意味ではない。この映画でダニーが見せた、クールでダンディーなカッコ良さと、トボけた雰囲気の絶妙なミックス。どことなく往年の名優バスター・キートン(※4)を彷彿とさせるが、キートンよりずっと長身のダニーには、長い足を生かしたステップやアクションにダイナミックなおかしさがある。それはこの時期のダニーにしか出せないもので、この後もこの芸風を続けていれば、キートンに迫る「現代の喜劇王」になれたんじゃないだろうか。だがこの映画でダニーが見せた独特の「渋トボ感(渋い+トボケた雰囲気)」は、二度と彼によって再現されることはなかった。

 それはやはり、相棒のベルーシを失ったからだろうか。それとも、みるみるデブっていったからだろうか。三年後の「トワイライトゾーン」では見事な二重アゴになっていて、「アンタ誰」って感じだったが。いやベルーシの葬儀の時点で、すでにエルウッドの面 影ゼロだったが。だが当時はそんなことはどうでもよかった。そもそも私が初めてダニーに惹かれたのは、皮肉にも「ベルーシの死」がきっかけだった。ベルーシに対して批判的な意見もある中、「アイクロイドはいつもベルーシをかばっていた」という記事を読んで感動。メディアの上では名コンビでも、「実生活では無関心・もしくは不仲」なコンビが多い中、この二人は本当に親友だったんだな。私はこうした友情モノに弱い。かくして、彼の映画をまだ一作も見ないうちから、ダニーはお気に入りの俳優の一人となった。
 その後、「大逆転」「ゴーストバスターズ(以下GB)」と、順調にヒット作に出演した時は嬉しかった。BBを初めてテレビで見たのも、たぶんこの頃。作品ごとに顔が違って見えて、不思議な役者さんだなあと思ったことを覚えている。その頃はファンのひいき目もあり、役作りのために、あえて顔をふっくらさせていると思っていたのだ。デ・ニーロのように。
 実際、GBの翌年に参加した「ウィ・アー・ザ・ワールド」では、元のすっきりした顎のラインに戻っており、「カッコいいダニーが帰ってきた」と喜んだものだった。だがそれも束の間、次の映画ではまたダブついた顎に(泣)。そしてそれ以降、二度と元のシュッとした顎に戻ることはなかった。
(※ここからオタトーク全開になるので、先に進まれる方は注意)
 さっきからアゴアゴとしつこいが、私はあのすっきりした顎のライン、もとい細面 の輪郭こそが、ダニーのビジュアルの生命線だと思っている。存在感抜群の眉や縦割れした鼻、ぽってりした唇など、顔の個々のパーツは結構クドい。それを少年のような卵形の輪郭(欧米人にしては珍しく、顎が割れていない)が絶妙のバランスで包んでいたからこそ、20代の彼は魅力的ないい男に見えた。それが30代になってみるみる太り、二重アゴになって輪郭が崩れたら、そりゃたちまちクドいおっさん顔になるって。
 それでもGBでも「スパイ・ライク・アス」でも、太ったら太ったなりに、独特のトボけた可愛さがあるのはさすがダニーだ(ひいき目)。そういうキャラも演じつつ、BBのようなダンディーなキャラも演じてほしい。せっかく長身で小顔(元は小顔のはずなのだ)なんだから!……というファンの願いも空しく、その後も彼はデブり続けた。やはり肥えると、どうしても役柄が限定される。クールな役は似合わないし、回ってこない。GBが世界的に大ヒットしたことも、その後、彼が似たような役ばかり演じるようになった一因かと思う。いわく、真面目で善良で、だまされやすいボケ役の小デブ。……小デブって(泣)。
  ビル・マーレーら、他のコメディアンたちとの「アンサンブル」を楽しむGBでは、ダニーのそういう役も活きていた。だが他の映画でも似たような役が多いと、「なーにいい子ちゃんぶってんだよ」と毒づきたくなってくる。アンタ元々はそんなキャラちゃうやろと。もっとこう、彼の「素」をいかしたワルっぽいキャラや、一見好感度高め、だが実はシニカルで毒舌なキャラが、ダニーの得意分野ではなかったか。いや元々、そうした「得意キャラ」に縛られない役柄の多彩さが、彼の魅力ではなかったか。若き日の「サタデー・ナイト・ライブ(以下SNL)」時代には、その役柄の多彩さから「千の顔を持つ男」と言われたそうだが、太ってからはどの映画でも同じキャラに見える。
 SNL といえば、同番組で共演していたマーレーやスティーヴ・マーティンは、その後もずっと体型を維持している。彼らはああ見えて、きっと陰で努力しているんだろう。見た目が見苦しいという以前に、ダニーの、役者としてのプロ意識に疑問を感じ始めた私は、いつしか彼の映画を見なくなった。情報すら追わなかったから、「BB2000」が作られたことも知らなかった。でもちっとも惜しいとも、見たいとも思わないのが空しい。

 今、Macの買い替えを機に久しぶりにBBを見、「ベスト・オブ・ダン・エイクロイド(SNL傑作選)」などを見ると、なんともいえない感傷がこみ上げると共に、「この頃の姿を、映画として残しておけて良かった」と、心からホッとしたりもする。それも世界中にファンがいる、もはや古典のカルトムービーとして。音楽とコメディとカーアクションが融合した「奇跡の映画」なんて言われてたりもするが、この映画の最大の奇跡は、実はダン・アイクロイドだったのではないか。と、その後の彼を知っている「今」になって、そう思う。情熱とハングリー精神とスリムな容姿(!)が揃っていた、若い頃だけの一瞬のきらめき。これが、ベルーシなら――もしこの映画の後に生き続けたとしても、ずっと「ベルーシ」であり続けただろう。だがダニーはそうではなかった。相棒に先立たれた「片割れ」は、生き残るためには芸風を変えざるを得なかったのか。だがまだまだ男盛りの50代で、ほとんど芸能界から引退状態になってしまった彼の現状を見ると、その選択は果 たして正しかったのか、どうか。

 

※1  今では「ダン・エイクロイド」表記が一般的だが、やっぱり私には80年代初頭の「アイクロイド」表記の方が馴染む。実際の発音も「アイクロイド」と聞こえるし。

※2  ダンの愛称。

※3  「デブロイド」時代にあって、私が唯一「いいな」と思った作品。最初、ダニーが出ているとは知らずに鑑賞し、途中で「この俳優ダニーに似てるな。でも彼がこんな映画に出る訳ないし」と即座に打ち消した。だからエンドクレジットでダニーの名を見たときには驚いたし、嬉しかった。

※4 ボブ・ホープとかバスター・キートンとか、いかにもリアルタイムで彼らを見てきたように書いているが、もちろんずっと後になってからビデオで見ただけ。昔のコメディ映画が好きで、特にクロスビー&ホープの「アラスカ珍道中」がお気に入り。BBのメイキングビデオで、メイク係のおじいさんがベルーシ&アイクロイドを「クロスビー&ホープのような名コンビ」と言ってくれたのは、さすがじーさん、例えがふるっ!と思いつつも嬉しかった。

2011年1月20日執筆

 


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