今日は「スカボロー・フェア/ 詠唱」 の歌詞について、私の考えを書きたいと思います。

かねしさんが以前BBSに書かれていたように、この曲の解釈は 「詠唱」の歌詞を考慮しなければ、十分には意味がすっきりしないでしょう。元々はスコットランド民謡で、元の歌詞には反戦的なメッセージはなんら含まれていないと思われます。
私の推測ですが、ポールはイギリスでこの曲の存在を知って、自分のレパートリーに入れることにした時、反戦的なメッセージ「詠唱」をバック・コーラス(?)の形で挿入することによって、彼自身の解釈による曲の新たな意味が生まれたのです。「サイド・オブ・ア・ヒル(『ポール・サイモン・ソングブック』収録)」の歌詞をそのままこの「詠唱」の歌詞として使用しているようですが、あの曲には反戦的なメッセージがあるそうなので、この「スカボロー・フェア」にも反戦的なメッセージがあると考えるのが自然でしょう。
ですから、オリジナルであるスコットランド民謡の主人公が、戦場に向かっているとは断定できないし、それとは逆に戦争とは全く関係ない文脈だったと思われます。以下の私の解釈は、あくまでもS&Gのバージョンを基にしたものです。

さて、らむこさんが「訳が分からない」と言っているのは、歌い手の実現不可能な難問のため、自己中心的な詩の内容になっているところだと思います。
「縫い目もない針の目もない木綿のシャツ」を作れば、「海水と波打ち際の間に1エーカーの土地」を見つけたら、また「皮の鎌で収穫を刈り、ヒースの束で収穫」をまとめてくれたらなど、これらの難問は、かねしさんが指摘していたように、「彼女はもう永遠に自分のものにはならないんだ」という「遠回し」の表現です。ただ、かねしさんが言うように「彼女は多分戦争に巻き込まれて亡くなった」のではなく、彼(歌い手)の方が徴兵されて戦場に行くことになったのです。それで、自分自身をあきらめるように、故意に実現不可能な難題を与えて、それとなく「戦場で死んでしまうだろう自分の帰りを待たないように」と示唆しているのです。
彼女がこの難題を「奇跡的に」克服すれば、彼も「奇跡的に」生き残って帰還できるかもしれないと解釈することも可能かもしれませんが、それは「奇跡」であって、歌の基本的な意味合いは、「それは実現不可能であろうから、私は戦場で死に絶える運命にある」と、暗に(隠喩的に)メッセージを送っているのです。
難問が提示される2、3、4番の歌詞は、「Then she'll be a true love of mine」と 未来形になっていますが、1番と5番の歌詞では「She once was a true love of mine 」と過去形になっていいます。そこには、歌い手の戦場に行かなければならない絶望感(戦場で死んでしまい、彼女との未来はない)がさりげなく表現されています。
「Remeber me to one who lives there / She once was a true love of mine」 の one が She(恋人)を指しますので、(つまり、彼女はスカボローの祭りに参加しているので)かねしさんが言うように「彼女が既に亡くなっている」のではないと思われます。
かねしさんがBBSで「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」は「死を連想させる草」と書いていましたが、私は以前これらのハーブは「死に対する魔除けの意味がある」と読んだことがあります。もしこれが本当だとすれば、この反戦ソングのテーマにぴったりのハーブだと思います。

このような解釈が成立すれば、歌い手は決して自己中心的な人ではなく、それとは全く逆に、自分の真実の(恐らく永遠の)恋人を思いやる心優しい人物像が浮かび上がってくると思います。

この歌は「竹取物語」のかぐや姫のエピソードを思い起こさせます。あの物語も、美しいかぐや姫に求婚する男性に実現不可能な難題を要求し、月に帰っていく運命にある彼女との結婚が成就されないよう設定されています。
またこの歌のように、さりげない反戦メッセージを個人的な心情の観点から切々と歌った“ Leavin' on the Jet Plane ”も、ポピュラー・ミュージックの代表的な反戦歌だと思います。ジョン・デンバーが作詞作曲し、ピーター、ポール&マリー で大ヒットしたこの歌では、「できることならこれまでの自分の態度を改めたいが、徴兵されてしまって手後れになってしまった。ジェット・プレインに乗って旅立つけれど、行きたくない」と歌われています。

また、この「スカボロー・フェア」の「恋の成就は困難を伴う」というテーマのおかげで、この歌は映画「卒業」にとって効果 的な挿入曲となりました。特に主人公のダスティン・ホフマン扮するベンジャミンの、真実の愛を得るためには文字通 り何でもありのストーカー行為にはぴったりです。
恋が成就されないような歌詞を、戦争という文脈に乗せた時、その審美的効果は恋のはかなさや困難よりも、戦争の不条理さが前面 化され、あまりプロテスト・ソングや政治的な歌を発表しなかったポールのささやかな挑戦のような気がしました。直接的なメッセージでリスナーに強い共感を与えることはありませんでしたが、力強い文学的なメッセージとして末永く聴かれる名曲になったと思います。

ポールは直接的な政治色の濃い作品よりは、間接的で詩的な政治的メッセージを持った作品を書いてきたような気がします。より政治的な曲、"The Church is Burning" "Cuba Si, Nixon No" や原子力発電所に反対した曲(タイトルを忘れました)を公式に発表していないのは、彼が音楽における政治的な発言の限界を感じていることを端的に示しているのかもしれません。
アルバム 「グレイスランド」の多くの曲は、政治的なメッセージを詩的に表現するポールの、素晴らしいアーティスティック・ポエティクな才能が開花した作品だと私は思っています。間接的なメッセージのため、逆に多くのリスナーを獲得できたのではないでしょうか。リスナーは最初政治的なニュアンスを理解できなくても、何度も聞いているうちに、隠されたメッセージを感じる事ができると思います。

【補足】
これは書き忘れたのですが、「スカボローフェア/詠唱」の反戦歌としてのメッセージは、「詠唱」の歌詞を読んでも明確には伝わってこないと思います。直接的な表現は3番目の歌詞に "Generals order the soliders to kill / To fight for a cause they have long ago forgotten"とあるだけで、全体的に戦場にいる兵士の様子を描いているだけです。
私が正確に述べるべきだったのは、元々の民謡の歌詞(真実の愛でも成就されない悲しいストーリー)と、新しいポールの歌詞(戦場の風景)が相互補完的に作用して、はじめて反戦的なメッセージが成立するということでした。

Text by snow beautiful
(snow beautifulさんがBBSに2回に渡って書かれた文章を、
管理人が一つの文章に編集・再構成いたしました)