Mother and Child Reunionについての私見 (snow beautiful)

サイモンのソロとしての最初のヒット曲 “Mother and Child Reunion” 「母と子の絆」の歌詞は難しい言葉を使用していないのにもかかわらず、とても難解になっていて、一度聞いただけでは何がなんだかわからない、というのが一般 的な反応のようです。これは、英語を母国語とする人たちにも共通しているようで、彼らにとっても難解な歌詞のようです。
ポール自身は、当時妻であったペギーの死を想像して作曲した,と言っているので、この曲には「死」のイメージがあることは否定できないでしょう。私は時代のコンテクスト(文脈)を考慮に入れながら、私なりの解釈を以下に書いてみます。
この曲はポールのポストS&Gの最初の作品であるアルバム Paul Simon の冒頭を飾るナンバーです。1972年当時S&Gのファンはポールのソロの作品がどのようなものか興味津々で針をレコードに落としたに違いありません。そしてアルバムのオープニング・ナンバーを聴いて、ビックリしたことでしょう。これまでのS&Gのサウンドとは違う異色のサウンドが流れてきたからです。スカやレゲエ色の濃いこの曲は、S&Gのアルバム『明日に架ける橋』でS&Gが様々な音楽を取り入れていたのを覚えていても、かなりのショックがあったのではないでしょうか。しかし、このアルバムのタイトル・ナンバーと比較した場合、異色なのはそのサウンドのつくりだけではなくて、歌詞にも反映されています。


No I would not give you false hope
On this strange and mournful day
But the mother and child reunion
Is only a motion away, oh, little daring of mine

「偽りの希望なんかをあなたに与えるつもりはない・奇妙で、哀しみ溢れたこんな日に。」これには、大ヒット曲「明日に架ける橋」とは全く正反対のメッセージです。あの曲では、教会のゴスペルソングのように、哀しい時、苦しい時に、傷ついた心を慰めるようなメッセージなのに対し、2年後にはポールは、慰めるつもりはないと、彼の態度を180度転換しています。これは、S&G時代のポールではない、というアートとの決別 の意味が込められているように思われます。

I can't for the life of me
Remember a sadder day
I know they say let it be
Bu it just don't work out that way
And the course of a lifetime runs
Over and over again

1番の歌詞で、「彼らがなすがままになるさ、と言っているのを私は知っているが・でもそんな風にはうまくはいかないんだ」という部分がありますが、「彼ら」とは “Let it Be” を歌った The Beatles を間接的に指しているように思われます(これは単なる言葉のあやの要素が強いのですが)。この部分でもポールはビートルズとの違いを強調しています。「明日に架ける橋」で、大ヒットを飛ばしたにもかかわらず、アートのパーフォーマンスだけが注目を浴びたのをよく思っていなかったようだから、ポールはS&Gや60年代のからの脱却を宣言したのかもしれません。ポールのささやかな挑戦がうかがわれます。

 この曲の解釈の困難さは、母と子が再会することがどうしてそんなに悲しいのか、ということのようで、一般 に天国での再会を解釈するのが多いようです。これは全く妥当な解釈です。インターネット上で読んだことがあるのですが、この悲しみの原因は妊娠中絶を意味しているという解釈があります。しかし、ポールは彼の妻が先立たれたことを想像して書いた曲だと言っているし、また、歌詞の中で、“Oh, little darling of mine” と歌っているので、先に天国に逝ったのは、子供の方ではなく、母親の方だと思われます。(私は子供が先に死んで、母親の方が悲しみに暮れている、とずっと思っていました。)

この曲の歌詞で、最も重要なメッセージと思われるのは、タイトルが歌われているフレーズ “Mother and child reunion is only a motion away” だと思います。これは、基本的には「(天国での)母と子の再会はほんの一つの動作の差しかない・離れていない」という意味で、最終コーラスでは、少し変形させて、“only a moment away” (一瞬の差)とも歌っています。この箇所を解釈すると、語り手にあたる人(恐らく父親)が、母に先立たれて、悲しみに打ちひしがれている子供に対して、そんなに母親と再会したいのなら、手助けしてもいい、という気持ちを表した、自殺ほう助の歌だと思います。ポールは、S&G 時代に人間の死だけでなく、自殺を扱った詞を多く書いてきました(代表的な曲は、“A Most Peculiar Man” “Richard Cory” “Save the Life of My Child” 等) 特に自殺というテーマの関連性で重要だと思える曲は、アルバム『明日に架ける橋』に収録されている“Why Don't You Write Me?” です。この曲はスカ・サウンドを追求したが「本物らしさ( authenticity )に欠ける」ということでレコーディング上の失敗作と思われていた、と伝われています。その教訓からポールはジャマイカに飛ぶことを決意したようです。この歌詞の中で恋人(ポールにとっては、映画撮影のためにメキシコに滞在していたアーティ)を待つナレーターが曲の最後に “Friday woe is me / Gonna hang my body from the highest tree” (「金曜日(になってもまだ手紙が来ない)、ああ、悲しいかな・一番高い木に首をつろうか」)と歌われています。
ここで重要なのは、ポールが自殺を肯定している恐ろしいメッセージを発信しているのではなく、むしろ、自殺行為がかけがえのない母親に先立たれた子供の悲痛な悲しみの度合いを表す隠喩として機能している、と解釈すべきです。この強烈な比喩表現によって、残された子供の母親に対する強い愛情が端的に、的確に表現されています。ですから、邦題の「母と子の絆」は的を射たネーミングだと思います。音楽活動初期のポールには、自殺行為を宗教的な視点から、一方的に断罪するのではなく、自殺者の心情・動機を理解したい、という温かい気持ちがあるように思われます。(アメリカの作家、トニ・モリソンの『ビラヴド』の幼児殺人や目取真俊の掌編「希望」の幼児誘拐殺人とそれに続く自殺行為も同様な文学上の表現媒体として機能しているのであって、作家がそのような非人道的行為を容認していると解釈するべきではないのです。)

Text by snow beautiful