PNSS〜ポール否認知ストレス症候群〜

 

早いもので、このサイトを開設してもう四年が経つ。トップの「扉を開く前に」には、サイト開設の理由として「もっとポールの話がしたい。という訳で、長年たまった欲求不満をこのサイトで解消する事にした」とある。
果たして、欲求不満は解消されただろうか?答えは「Yes」。思いもよらずたくさんの人に見てもらえて、掲示板では同じポールファンと語り合うこともできた。サイトを開設して、本当 によかったと思う。

だがネット上では欲求不満を解消できても、現実世界では、相変わらずポールファンとしては欲求不満な日々が続いている。
最近つくづく、日本という国は、ポールファンにとって生きにくい国だと思う。特に「S&Gよりポールのソロが好き」という、私のようなファンにとっては。といっても、レコードショップのCDの品揃えが悪いとか、マスコミでの取り上げられ方が極端に少ないとか、そんなんじゃない。そのぶん、ポールのCDを探し回って遂に手に入れた時は宝物を探り当てたように嬉しいし、雑誌の片隅に小さな記事を見つけると、まるで宝くじに当たった気分でまじまじと凝視する。「ポール・サイモンへの秩序正しいハマり方」でも書いたように、「少数派の悲哀」はその人の心の持ちようで、「少数派の快感」へとすり替わるのだから。
欲求不満を解消できずにストレスを感じるのは、人間関係においてだ。仕事柄人と会う機会が多く、「初めまして」という挨拶から始まる会話が頻繁にある。そして当然そこには名刺の交換がある訳だが、私は自分の名刺にこのサイトのURLを入れている。以前、このサイトがきっかけで仕事のつきあいが始まったことがあるからだ。
「へえ、サイトやってるんだ。何のサイト?」
「ポール・サイモンのファンサイトです」
「……誰それ?」
ここで「ムッ」とするようでは、日本におけるポールファン検定(なんだそれ)失格である。すかさず「サイモン&ガーファンクルの、サイモンですよ」と穏やかに説明できるようでなくてはならない。
仕事で会う人は私よりちょい上の世代の40〜50代の方が多く、そんな方はたいてい「サイモン&ガーファンクル」という単語を聞いて、パッと顏を明るくする。
「ああ、サイモン&ガーファンクル!オレも昔、よく聞いてたんだよね〜。あんた若いのに、サイモン&ガーファンクルが好きなんだ」
ここで私も「はい」と言えば、このおじさんと会話が弾み、仕事もうまくいくのだろう。だがここで流れに身を任せるようでは、ポールファンの名がすたる。
「いえ、サイモン&ガーファンクルじゃなくて、ポール・サイモンが好きなんです」
「…えっ?(戸惑ったように)一緒じゃないの?」
そこで私も、よせばいいのにむきになって、
「ポール・サイモンは、サイモン&ガーファンクル解散後にソロとして活動してるんですよ。その、ソロ時代の歌の方が好きなんです」
私にそう言われてもおじさんはなんとなく納得しないような、微妙な表情をしている。私は私で、内心(あ〜あ、余計なこと言っちゃったかな。なんでたかが趣味のことで、こんなにむきにならなきゃならないんだろ。素直に話合わせておけば、このおじさんとの関係もスムーズなのに)と自責の念にさいなまれる始末。

だが、問題はその後である。ここまではっきり私が「ポールファンです」と主張したにもかかわらず、その後、しばらく経ってまたそのおじさんと再会したとき、彼の頭からその主張はきれいさっぱり忘れ去られているのである。
例えば、おじさんが別の方に私のことを紹介するとき。彼はこう言う。
「この人はサイモン&ガーファンクルのファンで、サイトまで作ってるんだよ」
ちがーーーーう!と私は叫びたくなるが、ここで反論すればこのおじさんの立場がない。なのでぐっとこらえる。ああ、欲求不満がたまっていく…。

あんなにはっきり「S&Gじゃなくて、ポール・サイモンが好き」と主張したにもかかわらず、言われた方の頭からはすっかり忘れ去られているという事実。「ポール・サイモン」という耳慣れない単語より、「サイモン&ガーファンクル」という耳に馴染みの単語の方が記憶しやすいから、だろうか。それとも青春時代に親しんだS&Gの影響力が強すぎて、心にポールが入り込む隙間がないのだろうか。
「日本では、ポールはソロとして認知されてないんだなあ」とつくづく思う。だがそれは仕方ない。やりきれないのは、好きなものをはっきり「好き」と言ったのに、それをちゃんと受け止めてもらえず、その人の都合のいいように別 のものにすり替えられていくこと。これが繰り返されると、挙句の果てには好きなものをはっきり「好き」と言えなくなる。結果 、ストレスがたまり、心身に変調を来すことがある(かもしれない)。私はこれを「ポール否認知ストレス症候群(Paul negation stress syndrome)」、略してPNSSと名付けたい。

PNSSが悪化すると、それまで普通に好きだったS&Gが嫌いになってしまう恐れがある。2003〜2004年にかけてのS&G再々結成ブームのとき、私は危うくこれになりかけた。私自身は再々結成には興味がなくて、それより早くソロのニューアルバムを出してほしいと思っていた。なので再々結成のオールド・フレンド・ツアーのビデオも未だに見てないし、今後も見ることはないだろう。でも、別 にいいのだ。ポールのやることなすこと、全て無条件に受け入れて賛同しなきゃならない、なんてこともあるまい。そんな盲目的なファンにはなりたくない。それにポールだって、旧友との親交を暖めたいこともあるだろうし。
だからPNSSが悪化したのは、別にS&Gの再々結成そのものが原因ではない。本当の原因は、それまで自分と同じポールファンだと思っていた人々が、実はS&Gの再結成を待ち望んでいたのか、という衝撃である。結局、彼らもソロのポールが好きなんじゃなくて、「S&Gのポール」が好きだったのか。今となってはお笑い草だが、当時は勝手に裏切られた気持ちになっていた。
だからといってみんなが「再々結成ツアーで来日してほしい」などの書き込みで盛り上がっているときに、一人だけ「えー、別 に…」なんて書いて水を差すのも気が引けて、しばらく掲示板に何も書けずにいた。「普段はポールファンと名乗っていても、やっぱりみんな、S&Gの再結成を待ち望んでいたのね…」と、疎外感を感じてもいた。
でもあるとき勇気を出して、「S&Gよりソロの方が好き」と発言したら、最初は「今、それを言うか!」みたいに批判されたけど、その後、他の方が「私もそう思う」と擁護してくれたのは嬉しかった。あのおかげで、PNSSも回復に向かったし、S&Gも嫌いにならずにすんだ。そしてその後は、掲示板でオールド・フレンド・ツアーの話題が出てもなんとも思わなくなった。ポールもソロ活動に戻ってくれたし。

このように、PNSSは現実世界だけでなく、ネット上でも突然発症する危険がある。そして今のところ、PNSSを完全に根治する方法はない。ポールが日本でも、他のソロアーティストと同等に認知されない限りは。

だが本人の心構え次第で、ある程度は発症を予防することはできる。以下にその予防法を示す。
その一、ポールの音楽の魅力を他の人とも分かち合いたい、などと無理しない。また無駄 な期待を抱かない。
その二、ポールとS&Gを同じ土俵で比較しない。このふたつは全く別物なのだと割り切る。

そして運悪くPNSSを発症してしまった場合の治療法は、
その一、ポールを「ソロアーティスト」としてしっかり認知しているアメリカやイギリスの音楽サイトやファンサイトを見て、心の傷を癒すこと。
その 二、このサイトに来ること。なんつて(笑)。ポールファンゆえに感じるストレスを掲示板などで吐き出せば、完全に癒すことはできなくても、思いを共有することはできるはず。ただし不特定多数の人が見ているので、言葉遣いには気をつけて。

日本に住むポールファンで、PNSSを一度も感じずにポールファンライフを送っている人はほとんどいないのではないだろうか。程度の差はあれ、誰もが一度は「ポール・サイモンはソロとしてもすごいんだよ!なんで分かってくれないんだよ…」と歯ぎしりしたことがあるはず。このPNSSとうまくつきあっていくことが、日本におけるQOPL(※)を向上させる秘訣かもしれない。

※Quality of PaulFun life(クオリティ・オブ・ポールファン・ライフ)の略。