Paul Simonとポール・サイモン

 

Paul Simonとポール・サイモンの違いについて、ちょっと語ってみようと思う。といっても別 にアメリカと日本におけるポール・サイモン像のとらえ方の違いとか、そういう小難しい話ではない。ただ単にパッと見た時の、文字の美しさについて、である。そんなもん別 にどうだっていいじゃないかと言われるかもしれないけど。で、実際にどうだっていいんだけど。でもこれからポールについて色々書こうと思ってパソコンに向かった時、さてどうしようかとふと悩んだ。ポール・サイモンと素直にカタカナで書くか、ちょっとカッコつけて(?)Paul Simonと英字で書くか。
私の好みからいえば、Paul Simonと英字で書いてみたい。理由は簡単、その方が見た目が美しいからだ。だってカタカナの「ポール・サイモン」って、文字字体の均整もとれてないし、字と字の間も離れていて、どうにも間が抜けて見えるんだもの。日本でポールの人気がイマイチなのは、もしかしたらその名前の字づらがマヌケだからかも、なんてしょうもない事を考えてしまいたくなるほど。同じ日本語でも漢字などは均整が取れているのだが、どうもカタカナというのは隙間が多くていけない。といってもポール・サイモンという字を漢字に置き換える訳にもいかないし。(ちなみに私のMacは「さいもん」と打つと真っ先に「柴門」と変換される。ちょっとブルーになる。)
その点、英字の「Paul Simon」は字と字の間もぴたっとパランスよく詰まっていて、スッキリしている。カッコいい。Paul Simonって平凡だけど美しい名前だなぁと、その字を見ると改めて思う。
「君の名前は優しさくらいよくあるけれど、呼べば素敵な、とても素敵な名前と気付いた」
‥‥というのは飛鳥涼の「始まりはいつも雨」の一節だが、ラジオなどでこの歌のこの部分を聞くと、いつもPaul Simonを連想する。見た目もそうだけど、実際に声に出して呼んだ時の語感はもっと美しい。名前が短い上に、どこにも濁音がないから語感がさらっとしていて、軽やかだ。だから逆に、印象に残らないのかもしれないけど。もっと濁音の多い仰々しい名前だったら、一度聞いたら忘れないのかもしれない。Paul Simonなんて名前も性も平凡だから、特にファンでない限り一度聞いてもすぐに忘れてしまって、それでいつも「サイモン&ガーファンクルの片割れ」なんて呼ばれてしまうのだ‥‥なんて、話がすっかり脇道にそれてしまったけれど。
脱線ついでにさらにこだわった話をすると、英字でも全て大文字のPAUL SIMONよりも、Paul Simonと小文字主体で書いた方が、なんとなくポールらしい気がする。さらに言えばフォントも、ゴシック系のぶっとい文字より、明朝系の、繊細な文字の方がしっくりくる。アルバムで言えば、「ひとりごと」のPAUL SIMONより、「グレイスランド」のPAUL SIMON。でも「ザ・ケープマン」の、ちょっとエスニック風のPAUL SIMONもユニークでなかなか良いな。

話を元に戻そう。そんな訳でできれば名前表記は、間の抜けたカタカナのポール・サイモンより、ぴしっと引き締まった英字のPaul Simonで統一したいのだが、「読みやすさ」という問題がある。客観的に見て、日本語の文章の中にぽつぽつ英語が混じっていると、どうしても違和感がある。当たり前だ。全く違う種類の言語が、突然割り込んでくるのだから。
なので本文では、読みやすさを優先させて全てポール・サイモンとカタカナ表記する事にした。同じ理由で歌の題名なども、全て邦訳された日本語のタイトルで統一しようと思う。
だがタイトルや小見出しなどの大きい文字は、見た目の美しさを優先させてPaul Simonと英字表記にしようと思う。なんだかややこしくって自分でも間違えそうだが、でもこれでも一応デザイナーのはしくれなので、見た目にはこだわりたい。

他にも些細な、でも私にとってはけっこう重要な問題がある。いつもいつもポール・サイモンとフルネームで呼ぶのは長ったらしい。でその場合、ポールと呼ぶか、サイモンと呼ぶか。この辺りは媒体によって様々で、例えば唯一の邦訳された伝記「ポール・サイモン」では、作者はずっとサイモンと呼んでいる。アメリカではそっちが一般 的なのだろうか。
だが私はやはり「ポール」と呼びたい。サイモンと書くと、どうしてもその隣に「ガーファンクル」という名前を並べないとなんとなく収まりが悪いような気がして、もぞもぞするのだ。恐るべしS&G。それほどS&Gファンではないと自認している私ですら、“サイモン”という単語と“ガーファンクル”という単語は、セットになって脳細胞に刻みつけられているらしい。

以上、ホントにどうでもいい事ばかり書いてきたが、最後に彼の名前の由来について。Paulという名もSimonという名も、どちらも聖書の登場人物から来ている。欧米ではよくある名前のPaulは、新約聖書に出てくる有名な使徒パウロのこと。日本ではパウロだけど、欧米ではポールと呼ばれているらしい。
このパウロ、キリストの使徒の中では最も有能かつドラマチックな生涯を送った人として名高い。キリストが直接選んで行動を共にした12使徒の一人ではなく、それどころかキリストを迫害する急先鋒だったが、キリストの昇天後、キリストの霊に出会った事により回心。以後は最も熱心な使徒として、迫害をものともせずに世界中を伝道してまわった。彼の書いた手紙は聖書にも多く収録されており、福音書と並んで、今も信徒達の重要な教典となっている。
‥‥というのが、ごくごくおおざっぱなパウロ像。もっと詳しく知りたい人はキリスト教関係の本を読むか、いっそ聖書を読んでみては。ポールの書く歌詞を理解するためにも、聖書は読んでおいて損はない。と言う私も、読破しようとして何度も挫折したクチだけど(^.^;。
このパウロ、上の説明だと何の面白みもない人のようだけど、実はなかなか個性のある人で、特に先輩使徒のペテロを公衆の前で叱りつけるエピソードが好き。自分の信じる道を一直線に突き進み、先輩だろうとちっとも遠慮しないその強気な性格は、ポールとも共通 するものがあるかもしれない。

性のSimonの方は、実はPaulほど「これが由来」っていう確信はない。というのも一応、聖書にシモンという名前の人が登場して、綴りも英語ではSimonなんだけど、決して名前の由来になるような人物ではないので。パウロのような使徒ではなく、奇跡を金を買おうとしてペテロとヨハネに叱られる、情けない人なのだ。
Simonという名は欧米ではユダヤ人の性として定着しているみたいだけど、やっぱりこのシモンがその起源なのだろうか。これについてはもうちょっと調べてみたい。