最大の弱点は声?
|
サイモン&ガーファンクルの魅力について語るとき、必ず出てくる決まり文句のようなものがある。
「ポール・サイモンの作る知的で美しい歌と、アート・ガーファンクルの透き通った歌声が最大の魅力」というやつだ。なるほど、二人の個性を引き立たせつつ、簡潔にS&Gの魅力を語るとすればこう言うのがもっとも妥当だと、誰もが納得する文章である。いわばS&Gのキャッチフレーズ。ポールのソングライターとしての才能と、アーティの天使の歌声。この二つが絶妙にミックスされたのが、S&Gというデュオなのだと。
もちろん私も異論はない。が、あまりにこのキャッチフレーズが多用され、一般的なS&Gのイメージとして世間で認知されているのを見ると、ちょっと待てよ、と言いたくなる。確かにポールのソングライティングの才能は素晴らしいけれど、でも彼はただ歌を作っているだけではない。一応、彼もアーティと一緒に歌ってるんですけど?‥‥と言いたくなるのだ。それも主旋律を歌っていて、曲によってはポールのボーカルが全面 に押し出され、アーティの声はかすかに背後に聞こえるだけ‥‥というのもある。
それでも世間では、「黙々と歌を作るポールと、それを歌って聴衆を魅了するアーティ」というイメージが一般 的だ。(少なくともアメリカでは。日本では、S&Gの歌の数々を作っているのがポールという事すら知られていない)
きっと「明日に架ける橋」でのアーティのボーカルがあまりにも鮮烈で、瞬く間にそれがS&Gの代表曲となると共に、一般 的なイメージとして大衆の脳裏に焼き付いてしまったのだろう。アーティおいしいとこ取りである。かわいそうなポール。いつものように二人一緒に歌えば良かったのにね‥‥と思いつつ、やはりあの歌はアーティのソロだからこそあれだけ幅広い聴衆にアピール出来たのだと、私も認めざるを得ない。 (ファンとしては、ポールがソロで歌う「明日に架ける橋」の方が好きと言いたい気もするが、やはりあの歌はアーティに捧げられた、アーティのための歌だと思う。もちろんポールのソロバージョンも、味があって好きだけど)
だが仮に「明日に架ける橋」を抜きに考えてみても、やはり「美声」という言葉で形容される事が多いのは、圧倒的にアーティの方だ。というか、ポールの声が「美声」とかなんとか言われて称賛されるのを私は聞いた事がない。まあ別 にことさら声について言及しなくても、他に語るべき事がたくさんあるから、なのだろう。ソングライターとしての類い稀な才能とか、異文化の音楽への幅広いアプローチとか。その点アーティはただその声だけしか、特に言うべき事はないし。(‥‥と書くとなんだかずいぶん酷い言い方のようだが、その声だけで勝負できるのは素晴らしいと思っている)だからS&Gのキャッチフレーズが「ポール・サイモンの作る知的で美しい歌と、アート・ガーファンクルの透き通 った歌声」なのも、仕方がないなと思っていた。だが先日ネットで海外のサイトをあれこれ見て回っていると、ふとこんな意見を目にして首をかしげてしまったのだ。
「ポール・サイモンの最大の弱点は、声である」
「へっ?」と思った。そりゃ違うだろ。確かにその声が真っ先に特筆されるようなミュージシャンではないけれど、それは決してその声が、彼の“弱点”だからではない。それどころか、あの声あってのポール・サイモンだと思う。私は彼の声が大好きだ。どんなに明るいアップテンポの曲を歌っても、いつもどこかしら陰のある、寂しそうなあの声。初めて聞いた時からなんだか少年っぽい声だなと思っていたが、子供の頃からほとんど声変りしてなさそうな、そんな印象を受ける声でもある。少年っぽいと言っても決して幼稚という意味ではなく、思春期の少年のように多感で繊細で、でもどこか醒めていて、これからの人生に漠然と不安を感じているような声‥‥なんて、言葉で説明するのは難しいけれど。でもあの声だからこそ、彼がどんなに深遠な思想の歌を歌っても、割とすんなり聞けるような気がする。そう、やはりあの声あってのポールなのだ。
確かにあの小柄な体にふさわしく、決して声量のある方ではない。もしかして「弱点は声」と思っている人は、「声量 がある=いい歌手」と思い込んでいるのではないだろうか。だったら答えはNOである。遥か遠くまで響き渡るようなパワーのある声もいいけれど、私はそういう声をずっと聞いていると疲れる。絶叫系の歌手なんてもっての他だ。そういうのは個人の好みで判断してもいいだろう。
声量以外にも欠点を指摘しようと思えばすぐにみつかる。声の音域も決して広い方じゃないから、高音部分になると突然声が裏返ったりする。が、それがまたいい。彼ほど自分の裏声を上手く生かして、歌にはめこんでいる歌手は珍しいんじゃないだろうか。歌の途中で心地よい裏声のコーラスが聞こえてきたら、「あっ、ポール・サイモンの歌だな」と嬉しくなる。高い声が出せないという弱点を逆手に取って、裏声を駆使して美しいメロディーを作ってしまうポールに拍手。そういやアーティも、「ポールのファルセット(裏声)はとても魅力的なんだ」と言ってたっけ。そのアーティだが、未だに何かにつけてポールは彼と比較されているようで、「シンガーとしては、どう見てもガーファンクルの方が上」という意見もよく目にする。なんだかまた振り出しに戻ってしまったようだが、このほとんど大多数が同意し、ポール自身も認めるであろう“定説”にも、あえて反論しようと思えばできる。なんたって私は彼のファンだから、アーティよりも断然、ポールの声の方が好きである。‥‥なんて、そりゃ単に好みの問題で、全然反論になっていないけど。もちろんアーティが、心洗われるような美しい声の持ち主である事は認める。だがなんというのだろう。あまりにも透きとおった声なので、中になんにも詰まっていないような気がして、「きっとこの人は今まで、ほとんど挫折を知らずに生きてきたんだろうなぁ‥‥」なんて思ってしまうのだ。
それに対してポールの声にはいろんな悩みや思いがぎっしり詰まっていて、聞けば聞くほど心に染み入るような声‥‥に聞こえる。しいて言えば「歌声」ではなく「肉声」という感じ。そう、いかにも「歌ってる」というようなこれ見よがしの声じゃなくて、普段喋っている声そのままの無理のない声で、自分の思っている事を淡々と私たちに語りかけてくる。だから彼の歌はずーっと聞いていても疲れず、心にじーんと染みるのだろう。
もちろんアーティに全く悩みがないなんて言うつもりはないし、挫折や失望も経験しただろう。が、やはり美しい声というのは天性のものだ。努力して手に入れるものではなく、持って生まれた神からの授かり物で、だからこそ人はその声を聞いて感動する。本当に美しい歌声というのは、聞くだけで、自分の魂が天へと引き上げられていくような、文字通 り魂が揺さぶられるような感動を覚える。そんな歌声を持つ人はやはり、神から特別 にその声を授かった人なのだろう。
でも、私は‥‥辛いことがあって落ちこんだ時、透き通るような天使の歌声を聞いて心洗われるよりも、「打ちのめされない人間なんていないさ(アメリカの歌)」と歌うポールの優しい声を聞いて、心癒されたい。アーティに比べると、確かにポールって天使でも何でもない「普通 の声」に聞こえるけれど、でもその普通っぽさが、自分と同じ等身大の人間を感じさせ、落ち込んだ時には「僕だってそうさ」と慰めてくれているような、そしてすぐ隣で自分のために歌ってくれているような、そんな錯覚を呼び起こすのだ。――そんな訳で、彼の声が他のどんな歌手より好きな私だけど、残念なことがひとつある。それはポール自身が自分の声にあまり自信を持っていないのか、バックコーラスをつけて歌う事が多いことだ。アーティのような声に生まれてこなかった事を悔やんで、嫉妬していたとも言われる。たぶんそれは本当だろう。S&G時代はいつもアーティの声ばかり称賛され、解散してもなお、比較され続けているのだから。
だが世界最高のハーモニーグループ、レディスミス・ブラックマンバーゾのジョセフ・シャバララは、こう言ってくれた。
「わたしはよくポールに、『君の声はステキだ、すごくいい声をしている。人の心を感動させるよ』って言ったものだ。この男は神からの賜りものを持ってると思う」
私もまったく同感である。