どうでもいいひとりごと@映画

※公開前の映画についての感想が多いです。ネタバレには十分ご注意ください。

【2004年7月〜8月】
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「らくだの涙」(2003年/ドイツ 監督:ビャンバスレン・ダヴァー 、ルイジ・ファロルニ  出演:インゲン・テメー(母ラクダ)、ボトック(子ラク )
「80デイズ」(2004年/アメリカ 監督:フランク・コラチ  出演:ジャッキー・チェン 、スティーヴ・クーガン 、セシル・ドゥ・フランス )
「オールドボーイ」(2003年/韓国 監督:パク・チャヌク 出演:チェ・ミンシク、ユ・ジテ、カン・へジョン)
「アラモ」(2004年/アメリカ 監督:ジョン・リー・ハンコック  出演:デニス・クエイド、ビリー・ボブ・ソーントン)
「僕はラジオ」(2003年/アメリカ 監督:マイケル・トーリン  出演:エド・ハリス、キューバ・グッディング・Jr)
「トゥー・ブラザーズ」(2004年/フランス・イギリス合作 監督:ジャン=ジャック・アノー 出演:ガイ・ピアース、ジャン=クロード・ドレフュス)
「モナリザ・スマイル」(20003年/アメリカ 監督:マイク・ニューウェル 出演:ジュリア・ロバーツ 、キルステン・ダンスト 、ジュリア・スタイルズ)

2004年5月〜6月

2004年3月〜4月

らくだの涙
2004年8月30日  ソニー・ピクャーズ試写 室

余計な装飾をいっさい省いた、いろんな意味で「映画大学生の卒業制作」らしい映画。まずBGMが一切ない。聞こえてくるのは砂漠を走る風の音や、らくだの鳴き声。そして遊牧民たちの歌声。ドキュメンタリーだから、出演者もみんな本物のモンゴル遊牧民の人たちで、演技らしい演技もなく、彼らの日常を追ってるだけだし。でもドイツの大学に通 う監督二人が、ロケ隊引き連れてはるばるモンゴルまで撮影に行っているんだから、卒業制作映画にしてはお金がかかってる方かもしれない。
淡々とした展開がNHKのドキュメンタリーっぽくて、わざわざ映画館で見るほどでは…ともちょっと思ったけど、でも好きな映画。一緒に見に行った子は隣でぐーぐー寝てたけど(笑)。
クライマックスのらくだの涙、あれを見れただけで十分、心に残る映画になった。あれって、本当に感動して泣いてたのかなぁ。動物が感動の涙を流すなんてちょっと信じられないけど、でもモンゴルではこの風習「子ラクダを拒絶する母ラクダの心を、音楽で癒す」が昔からずっと行われていて、しかも成功しなかったという話は聞いたことがないというから、きっと本当なんだろう。というか、そう信じたい。

もうひとつ興味深かったのは、モンゴルの遊牧民といっても、昔ながらの遊牧生活をしている人たちもいる一方、一部の地域ではかなり都会化が進んでいるということ。母ラクダの心を音楽療法で癒すため、小さな兄弟ふたりが音楽家を呼びに県庁まで出かけるシーンがあるんだけど、そこにはコンクリートの建物(といってもせいぜい2階建てくらい)が並んでいて、ちょっとした「町」を形成してたし。テレビとか電池とか、最新機器もこの町でしか売ってないらしく、兄弟たちも興味しんしんにそれら電気製品に見入ってたし。
動物好きの私なんかは、ラクダや山羊の群れに囲まれた、昔ながらの遊牧生活を体験したい!と思ってしまうけど、でもずっとその生活を続けるのは大変だろうし、じょじょに近代化が進んでいるのは仕方ない…。寂しい気持ちもするけれど。

一応「青少年映画審議会推薦作品」みたいだけど、ラクダが子供を生むシーン、子供の足だけお腹からぐったりと突き出てるシーンは、子供に見せるのはちょっとグロいと思った(汗)。まあ、あの難産だった出産シーンがあるからこそ、その後、母親が子供を拒絶するのも理解できるのだけど。
私はあのシーン、母親のお腹から体半分しか出られず、苦しんでいる子ラクダを抱き寄せ、その耳に息を吹きかけているおじいさんに感動。冒頭、ラクダのルーツを語るシーンで 登場してから、このおじいさんがお気に入り。 ラクダたちに負けず劣らず、自然ないい表情をしていて、ひきこまれる。
若いお母さんが頑張っていたのも印象的。暴風の時もこのお母さんが外に出てテントが吹き飛ばされないようにひもで縛ってたけど、でもそれって父親の仕事じゃないの?女性があくせく働いてるのに、男はなんかぐーたらだなぁ…とちょっと思った。まあ、映画に映らないところで働いてるんだろうけど。でも映画見た限りでは、女の方がよく働いてる。そこらへん、なんとなく沖縄に似てるなーと思った。自然と共存してる地域って、男より女の方が働き者、っていうのが共通 事項なのかなあ。
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80デイズ
2004年8月24日 梅田ブルク7

これも、「アラモ」と並んでアメリカで大コケした映画。はい、だから見に行きました(笑)。しかしこっちは「アラモ」と違って、期待を裏切らない酷い出来でした。いやもう、期待以上。あんだけお金かけて、世界各国をロケして、どうやったらこんなにつまんない映画ができるのか知りたいくらい。いや、ただ単につまんないだけだったら、「大金つぎこんでコケた映画」としてある意味愛すべき映画になるんだけど、この映画は後味悪い。ラスト、それまでずっと酷い目に合わされてきて怪我しまくりで、ラストシーンも骨折した腕をギプスで固めて登場する警察官がいるんだけど、主人公たちの不注意でまたもや階段から転げ落ちるの。それを見て、クスクス笑う主人公たち…最悪。この瞬間、「もう二度と見たくない映画」に決定しました。同じ人を「これでもか」というくらい痛めつける事で笑いを取ろうとするな。ちっとも笑えん。
まあ「80日間世界一周」のリメイクと思わず、ジャッキーのアクション映画と思えば、それなりに楽しめるかも。
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オールドボーイ
2004年8月10日 リサイタルホール

「傷ついた者に復讐は最高の薬だ。言い換えれば“復讐は健康にいい”。やってみろ(笑)」
このセリフだけで、この映画は私の中で永遠に忘れられない映画になった。このセリフを吐く悪役のユ・ジテが全編通 して圧倒的な存在感で、魅了される。主役のチェ・ミンシクやヒロインのカン・ヘジョンも魅力的なんだけど、ユ・ジテの存在感の前では印象が薄れてしまうくらい。柔和な笑顔の底に狂気を秘めたクールな悪役、カッコよすぎ。
映画そのものも今までにない新しいタイプの傑作で、カルト映画として末長く愛されそうな予感がする。
これまで韓国映画を敬遠していた人も、一見の価値あり。今まで、韓流ブームとかマスコミが煽ってるのを見ても「そんなに韓国映画って面 白いか〜?」と懐疑的な目を向けていた私だけど、この映画見て認識が変わった。確かに今、韓国映画は勢いがある。今まで韓国映画というと「演技がクサくて演出が大げさで、まるで60〜70年代の日本映画を見てるよう」と思ってたけど、その考えを改めます。この映画は新しい。原作が日本の同名漫画、というのも多少は影響してるかもしれないけど、こういう映画を生み出す今の韓国映画界のパワーは侮れない。
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アラモ
2004年8月9日 東映試写 室

アメリカで大コケした、という情報を聞いて、ある意味期待して(おいおい)見に行った映画。いや、莫大な金を費やした超大作が、気持ちいいくらい見事にコケるのって、妙にそそられるんですよ。超多作が、期待通 りに大ヒットしたらつまらん(笑)。
でも、期待していたほど、酷い映画ではなかった…。プレスシートで謳っているような「観る者の魂をゆさぶる世紀のスペクタクル感動巨篇」ほどの感動は無かったけど。あの煽り文句は大げさだって。
良くも悪くもない、普通の映画。ただ、アメリカ人ならおなじみの「アラモ砦の攻防」も、日本人にはそれほど馴染みがないから、「なぜ、テキサスがメキシコからの独立を求めて武装蜂起したのか」という説明がほとんどないこの映画は分かりにくい。そこが欠点。説明もなんもなく、いきなり戦争準備から始まるから、観客は感情移入したくてもできない。メキシコ軍の親玉 を、いかにも憎たらしい悪玉に描いているのも公平じゃない。「アラモ砦で自由のために戦い、散っていった英雄たち」というスタンスだけど、ちょっと待て。国内の一部の州にいきなり独立を求めて武装蜂起されたら、そりゃメキシコだって困るだろ。「はい、そうですか」と簡単に独立を許す訳ないじゃん。他の州もそれにつられて次々に独立したがるかもしれないし。そういうメキシコ側の事情は無視して、テキサス賛美一辺倒なのは納得いかない。なんか、先住民族のネイティブ・アメリカンを悪役にして、正義の名の元に虐殺しまくっていた昔の西部劇を連想させて、見終わってからやるせない気持ちになりました。

結局、一番印象に残ったのは、試写会に浜村純氏が来ていた事か(笑)。上映前、配給会社のおばさまと、えんえん映画ネタで盛り上がっていました。いや盛り上がるというより、浜村氏が一方的に話しまくっていた。ラジオだけじゃなくて素顔も、映画について語らせたら止まらない人なんだなあ。
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僕はラジオ
2004年7月29日 ソニー・ピクャーズ試写 室

うーん。いいお話なんだけど、なんかちょっとひっかかる。きっとこれは冒頭のあのエピソードがひっかかってるんだろう。高校のフットボール部の練習を見ていたラジオが、グラウンドの外に飛び出たボールを、部員が「返してくれ」と言ってるのにそのまま持って帰ってしまう。まあそれは彼が知的障害を抱えているから仕方ないとしても、「ボール盗られた!」とその部員がコーチに訴えているにもかかわらず、コーチが無視して、ラジオが盗んだボールをそのまま持ち帰るのを黙認するのは駄 目だろう。コーチは、ラジオが「知的障害者だから」大目に見てやっているのかもしれないが、駄 目なものは駄目。むしろ「知的障害者だから」という理由で盗みを大目に見てやる方が、彼らにとって失礼なんじゃないか。そう思ってなんか釈然としなかったし、ボールを盗られた部員がこの事を恨んで、その後、ラジオに仕返しするのも当然だと思ってしまった。両手両足を縛って部室に閉じこめる、というのはやりすぎだけど、でもその気持ちは理解できる。
だからジョニーの仕返しに怒ったコーチが一方的にジョニーたちを責めるのも、納得いかなかった。部員がボール盗られたと訴えてるのに、それを無視して放置したコーチが悪いんじゃないか!と。ラジオが酷い目にあったのも、元はと言えばあの時コーチがきちんと対応しなかったのが悪いんじゃないか!と。
冒頭のこのシーンが心にずっとひっかかったままなので、その後も素直に、この実話を元にしたお話にのめり込めなかったような気がする。とにかく周りの人全てがラジオに好意的で、実話だと分かっているにもかかわらず、「ありえね〜」と思ってしまった。後でプレスシートを読んで、この映画はラジオの忠実な伝記ではないと知り、ああなるほどと納得。やっぱりちょっと脚色入ってるのね。実際はもっと、ラジオが地域の人々に受け入れられるまで様々な衝突や葛藤があったに違いない。映画では、あまりにもすんなりみんなに受け入れられてて、そこがイマイチ感動に乏しいところなんだけど。「こんなに、知的障害者に対してみんなが好意的な訳ない!しかも1970年代に」と、どうしても懐疑的になってしまう。こんなに、ラジオの周りの人々が知的障害者への理解を持った、「いい人」たちばかりな訳ない、と。
献身的にラジオを支えるコーチは「彼は同情なんか求めちゃいない」というけれど、そのセリフが白々しく聞こえてしまったのが残念でした。でもラジオを演じたキューバ・グッディング・Jrの演技は素晴らしかった。彼の演技を見るだけでもこの映画を見る価値はあり。
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トゥー・ブラザーズ
2004年7月27日 リサイタルホール

映画を見終わって真っ先に、「ありえね〜」とつぶやいてしまった。いくら子トラの時に飼われてたからって、大人に成長したトラがあそこまで人間に懐く訳ない!しかも人間の言葉を理解してるし。いくら映画とはいえ、あそこまでやられるとちょっとひいてしまう。
まあでも、動物好きとしては、ハッピーエンドにはホッとしたし、押し付けがましくない演出が気に入ったんですが。ずっとアメリカ映画だと思ってたけど、プレスシートを読んだらフランス・イギリスの合作映画だったんですねこれ。どうりで派手なクライマックスや、“泣き”のシーンが無い訳だ。アメリカ映画なら、ラスト、少年とトラの別 れのシーンで、絶対あの少年は泣く。間違いない。
主人公のハンターも、劇的な回心シーンとかはなく、トラと触れ合っていくうちにいつの間にか「野生動物保護派」になってるし。でもそういう淡々としたところが良し。
一番心に残ったのは、ラスト、このハンターとトラの別れのシーン。子トラの時にハンターからもらったキャンディーをしっかり覚えていて、それを欲しがるトラ。しかしあいにくキャンディー缶 はからっぽ。残念そうに鳴くトラに、ハンターが心から申し訳無さそうな表情で「ごめんよ」そして「許しておくれ」と言うシーンにはジーンときました。「許しておくれ」というセリフには、キャンディーが無かった事だけではなく、これまで毛皮を取るため、また駆除と称して野生動物をさんざん殺してきた事に対する謝罪の意味もこめられているのだろうなあ、と。このトラの父親を殺したのもこのハンターだし。
子トラの時に少しだけ面倒を見たトラが、成獣になってからもそのハンターをしっかり覚えてて、しかも懐いてる訳ないだろ!というツッコミはこの際置いておくとして(笑)。
でも見終わった後にプレスシートで、「映画では俳優とトラの共演シーンばかりだが、実際にはトラと俳優のコンタクトはいっさいなかった。これも特殊効果 技術のおかげである」と書いてあるのを読んで「あーやっぱりね」と苦笑。そりゃあ、別れのシーンで少年がトラに頬ずりするのを見て、「ありえなーい。絶対これは特撮で合成してる」と思ったけどさ。でも私みたいにひねた客だけでなく、純粋に感動してる客もいるはずだから、プレスシートでそんなあっさりネタパレしなくても(^^;)
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モナリザ・スマイル
2004年7月13日 UIP試写 室

うーん、いまいち。ジュリア・ロバーツは確かにキレイだと思うし、「スターのオーラ」というのも存分に感じられるんだけど、それだけ。ジュリアの魅力を堪能するだけの、いわゆる「スター映画」の域を出てない。でも言い換えれば、「スター映画」としてはよくできてると思う。でももう一度見たいとは思わない、そんな映画。
というのも、この映画で女生徒を演じた若手女優たちのキャスティングがひっかかるのだ。一応、プレスシートには「トップ女優、ジュリア・ロバーツに決してひけを取らない若手女優たちのフレッシュな魅力」とか書いてあるんだけど。確かに女生徒役の若手女優たちは皆演技達者で、「ハリウッドを代表する若手女優たち」というのは納得できた。でもみんな演技は上手いんだけど、地味。顔も地味だし、なんといっても“スターのオーラ"なるものがほとんど感じられない。これって製作者側は、「年は取ってもまだまだ美しくてスターなジュリア・ロバーツ」を演出するために、わざとジュリアの引き立て役になるような、演技派だけど地味な若手女優ばかりを選んだのでは?と勘ぐりたくなるほど。いくら演技派だからといって、絶対、この映画の女生徒役にはナタリー・ポートマンやスカーレット・ヨハンソンのような、美貌とオーラを兼ね備えた若手女優は起用されなかっただろうと思う。
もうひとつひっかかったのは、1950年代の話にもかかわらず、ジュリア・ロバーツが全く「その時代の女性」に見えないということ。他の登場人物はみな当時の髪形で、ちゃんと「50年代の人物」に見えるのに、ジュリアは髪形もメイクも今風で、明らかに浮いている。これって、わざとそうしてるのかなあ?ジュリア演じる助教授が進歩的で自立している女性である、ということを印象づけるために。でもこれも、なーんかわざとらしくて、所詮「スター映画」だなぁ、と苦笑。ジュリアと同年代の女優なら、「トスカーナの休日」のダイアン・レインの方がずっと自然で、魅力的に映ったのは何故なんだろう。あの映画はちっとも「スター映画」に見えなかったし、ダイアンが引き立つように、特別 扱いもしていないのに。

かろうじて気に入ったのが、ジュリアンの相手役のプレイボーイ教師。マテウスに似てる(笑)。ちょうどサッカードイツ代表の新監督を決めるゴタゴタの真っ最中で、マテウスが「俺がやる」と意欲満々で名乗りを上げたにもかかわらず、全く相手にされてない時だったから、よけいにおかしくって。映画の中でプレイボーイ教師がジュリアを口説くたびに、「がんばれマテウス」と心の中で声援を送っちゃった。
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